R-18韓国映画『お嬢さん』が“画期的”とされる理由――女性同士のラブシーンが描いた「連帯」と「男性支配」からの脱出
第1部でまず強調されるのは、秀子とスッキの「母性愛」的な関係性だ。映画の冒頭、捨てられた赤ん坊を拾って面倒を見、その後売りさばく生活を送っているスッキはすでに母親的な役割を果たしており、社会から隔絶された世界で1人では何もできない秀子には、まるで赤ん坊のように接する。
スッキに頼りっぱなしの秀子も、実は彼女の演技であったことが後から明らかになるのだが、母親を早くに亡くしたという共通点を持つ2人が、「あなたの母はきっとあなたを産んでよかったと思っているはず」というスッキの言葉を通して真の感情を芽生えさせることからも、彼女たちがまず「母性」によって連帯していくことがわかる。
そして、時間をかけて反復的に描かれるセックスシーンが、素晴らしいエロティシズムにあふれているのは作り手たちの力量だが、手を握り合うといった行為を見せることで、2人の連帯感がより伝わってくる場面になっている。
また、最初は女同士がだまし合っているように見せるからこそ、それが次第に「女性対男性」の構図に変化し、最終的には女が男に気持ちよく勝利する結末に痛快さを感じるという、映画自体の構成の魅力も大きいだろう。それまで完全に男性の支配下に置かれていた秀子とスッキは、連帯することで、上月や藤原との関係をぶち壊して転覆させ、2人だけの自由を手に入れる。そしてその過程で、上月の春画コレクションや「蛇の像」を叩き潰し、藤原の「指」は切断され、それぞれ「男根」のメタファーともいえるものが具体的に破壊されていく。
こうしたさまや、だまし合いのゲームにおいて次第に女たちが主体的な地位を確立し、男たちをバカにしながら勝利を収めるという展開を考えると、2人の同性愛的連帯は、もはや必然とさえいえる気がする。上月の家から脱出する際の「私の人生を壊しに来た救世主、私の珠子」という秀子のセリフは、そうした2人の関係性を決定的に示すものである。
パク・チャヌクは、男性による一方的な性的視線を見事に転覆させる女性たちの反撃を描くための装置として、同性愛を必要としたのだろう。だからこそ本作は、スキャンダルなベッドシーンの話題を超えて、フェミニズムに根差した議論が活性化したのである。