西野亮廣『えんとつ町のプペル』、「瞑想アイドル」のアルバムが大ヒット……“教祖様”が一般化することへの懸念
『プペル』の宣伝で表に出ることが増えたせいか、西野さんはネット上で「胡散臭い」などとバッシングを受けています。彼は自身のオンラインサロン参加者に、『プペル』のチケットを原価で仕入れて販売できる権利を売って、ネット上で「マルチ商法のようだ」と批判を浴びました。これだけでなく、「個展会場の撤収を手伝う権利」「西野を休ませる権利」を高額で販売していた過去などが続々と掘り起こされて、また炎上。西野さんに共感してオンラインサロンに入り、世間的に「おかしい」と思われても、彼の持論にハマってしまう人の存在が可視化されている状況といえるでしょう。この姿はなんだか、スピリチュアル教祖様・happyのライブで盛り上がるお客さんたちと重なって見えます。
サロン生をはじめとした、世間の“警戒する声”が聞こえない層によって『プペル』が動員150万人・20億円のヒットを生み、西野さんは一応「クリエイター」として成功を収めたことになるのでしょう。私が懸念するのはその先で、新たな支持者が増えていくことです。iTunesのランキングで上位に入ったhappyもまた、「歌手」として申し分ないスタートを切ってしまいました。
もちろん作品自体には罪はなく、あの映画や音楽に惹かれる人がいることも理解はします。しかし、エンタメで結果を残した以上、彼らの活動を一部でも認めざるを得なくなってしまったのです。happyや西野さんが「教祖様」ではなく「歌手」「クリエイター」として多くの人に支持されても、その思想や過去の所業を全肯定する理由にはなりません。にもかかわらず、著しく教祖様が一般化している今の状況は、彼らが今後も繰り出すだろう“商法”までもかすませてしまわないか、とても心配しています。
作品に感動した人が、楽しげに盛り上がっているファンに引き寄せられてその場所をのぞき込み、いざ足を踏み入れてみたら、閉鎖的なオンラインサロンに行き着く。そこで価値観や金銭感覚をゆがめられて、首が回らなくなるまで課金したり、イベントの宣伝要員になったり、都合のいい労働力になったりしてしまう……という話は、もう実際に起こっているのではないでしょうか? それは「その人(自分)の好きなことだから」という話では、済まされないと思います。
「信者ビジネス」が一般に溶け込んでいるということは、誰もが「信者」になる可能性があるということ。その恐ろしさを感じてほしいのです。happyや西野さんがどういう狙いで作品を世に出したのかは知りませんが、つくづく嫌な前例を作ったものです。