これぞ脚本家・北川悦吏子の真骨頂! 『半分、青い。』からさらにパワーアップした『ウチの娘は、彼氏が出来ない!!』をホメゴロス!
《私、新聞を三日分、一度も開かず捨てました、この前。暗に新聞取るのやめたい、と思ってます。》
《私は、恐ろしいものはあまり見られないです。テレビ。ニュースとかでも。》
《次から次へと情報が。流れるプールで溺れ死にしたくないので、ある時から、ショッタアウトするようになった。》(※原文ママ)
今年で還暦を迎える大シェフは、いっさい社会に目を向けていないことを折に触れ吐露している。たいがいの脚本家や作家は、たとえ若い頃に「君と僕、あなたと私の世界」といった内向きの作品を書いていたとしても、年齢と経験を重ねるにつれ、視点と書きたいテーマが外へ、社会へ、マクロへと拡がっていくものだ。年を追うごとにこれだけ作品が私小説化、というか日記化する脚本家は他に類を見ない。
内に向くなら向くで、自己との対峙の結果生まれるものを作品に昇華しているのかと思いきや、大シェフの場合、視点がミクロ化すればするほど脳内がそのまま転写されたような作品内容になるわけで、『半分、青い。』同様、『ウチの娘は、彼氏が出来ない!!』は心理学のテキストとしても非常に有用だ。『ウチ彼』を見ていると、大シェフが何に興味があり、何に無関心か、他者とどう関わり、何を羨望し、何を見下し、どうやって自己肯定感を保持しているかがよくわかる。この険しい時代、多くの脚本家が「見た人が、ひいては世の中が少しでも前向きになる一助となれば」という願いを込めてドラマを作っている中、徹頭徹尾「私がこうされたい! こう見られたい!」を書く脚本家も稀有だ。
しかし、言ってみればこれが大シェフの“作家性”であり、こういったテイストを好む視聴者も少なからずいるのだろう。多様性、多様性。まさしくワン&オンリー、稀代の大シェフの、ますます“気まぐれサラダ”化するドラマ作りに、今後も着目したい。
※《 》内はTwitterでの北川氏本人の発言。原文ママ。