「長女の私に、とにかく厳しかった」監視する母とアル中だった父――老いた親を前に、娘の本心は
“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)
そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。……なのだが、親と向き合うことができない子どもも少なくない。「老いた母親と息子の屈折した愛情」では母と息子の濃密過ぎる関係について書いたが、今回は母と娘の関係について考えてみたい。
アルコール依存症だった父
先日、津久井やまゆり園の被害者のその後がテレビで報道されていた。被害者のある男性は、大けがから回復しても施設に戻らず、一人暮らしをはじめていた。そして、これまでテレビで何度も流されてきたどの表情よりも、明るくなっていたことに驚いた。もちろん、事件から時間が経過したということもその理由なのだろうが、自立して生活しているという自信や、自由を喜んでいるような雰囲気が画面越しに伝わってきた。
この男性のように、自立して生活する障害者をサポートする活動に取り組んでいる団体がある。その理事長自身も車いす生活を送っている。理事長の妻で、自らもその団体で介護職などとして働く東野晴美さん(仮名・51)は、公私ともに介護漬けの毎日だ。
「母から離れたくて仕事を次々と入れていたら、ものすごく忙しくなってしまって……」と苦笑する。
母親から離れたい――それは、冗談でも何でもない。東野さんの本心なのだ。
「父はアル中だったんです」
北関東の実家にいたころから、東野さんは高校を卒業したら家を出ようと決めていたという。
「父は酒を飲んでは暴れて、母に暴力を振るっていました。私と妹に暴力を振るうことはありませんでしたが、母には早く離婚してほしいとずっと言い続けていました。でも母は、『あなたたちのため』と言って、離婚せずに頑張っていたんです」
それだけではなかった。子どもたちのための、母の“頑張り”は、「東野さんを監視する」という形で表出した。
母から常に監視される
「長女である私にはとにかく厳しかった。高校生になっても門限にうるさく、部活で帰りが遅くなると連絡してくれた先生を怒鳴りつけることもありました。自分の部屋にいても、常に様子を見られているんです」
そんな生活は、高校を卒業するまで続いた。東野さんは大学入学とともに実家を離れ、母親の監視からようやく逃れることができた。……はずだった。
「仕送りはしてくれましたし、部屋に電話も引いてくれましたが、今度は毎晩、電話がかかってきました。今日、どこで何をしていたのかを報告させられて、大学に入っても母から解放されたという感じはありませんでした」
息苦しい関係は、東野さんの結婚とともに終わった。障害を負い、車いす生活を送る夫との結婚には紆余曲折もあったが、ここでは置いておこう。
「結婚すると、母もさすがに私がどこで何をしていようと構わなくなったので、本当に楽になりました」
家を出て以来、ほとんど帰省していなかった東野さんも、子どもが生まれると孫の顔を見せに帰省するようになっていた。
「このころには、母へのわだかまりもほとんどなくなっていました」
一方で、父親の酒浸りは相変わらず。東野さんが30代半ばになったころから、酒のために体が利かなくなり、寝たきりに近い状態になっていたという。
「実家には妹家族が住んでくれていました。母の束縛も、父の暴力も、妹は比較的おおらかに受け止めていたようです」
――続きは1月24日公開