皇族の結婚と「皇族費」のリアルな内情――支給金は「庶民の生活費の625倍」!? 知られざる日本の皇室史
皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!
前回まで――「美しすぎる宮妃」として戦前に人気を博した梨本宮伊都子さん。年間予算3億円の大資産家生まれの超お嬢様だった伊都子さんですが、女学生時代のある日、突然「あなたの結婚が決まったから」と告げられ、高校の卒業目前に“寿退学”。結婚のお相手は、皇族の梨本宮守正王だったのでした……。
――梨本宮伊都子さまの“ロイヤルウェディング”は、どんな様子だったのでしょうか?
堀江宏樹氏(以下、堀江) 1900年(明治33年)のことです。おすべらかしに結った髪、そして「十二単」の御装束をおまといになって、実家から馬車で宮中に父上とお出かけになったと自伝『三代の天皇と私』(講談社)にはありますね。
当時、皇族の結婚は皇居で神前式にて執り行われます。会場にて夫となる梨本宮守正殿下とあらためてご対面、そのまま儀式に入られたご様子です。最初が伝統的な宮中装束。次におすべらかしから洋風に髪形も変え、西洋式の大礼服(=最高の格式のドレス)である「マント・ド・クール」にお着替えです。
――以前、秩父宮節子妃のウエディングのお話では、油で固めたおすべらかしの髪を解くために使われたベンジンが目に入り、あわや失明……というような恐ろしい話もありましたね(苦笑)。
堀江 伊都子さまは幸いにして、そういう経験はなさらず、ご実家が用意してくださった例の1億円のティエラを頭に燦然と輝かせながら、残りの儀式を終えられたとのことです。
ちなみに伊都子さまが、明治時代に「皇族令」が改定されて以来、最初に皇族妃となる女性でしたので、いろいろと大変なことはあったようですけれどね。この時も、初夜には「三日夜の餅」が出たようです。
結婚関連の儀式では分刻みのスケジュールを課され、苦労なさったと思われます。とくに4日連続で、昼と夜の2回ずつある披露パーティに出席するのは骨が折れた模様。伊都子さまは「皇族は辛抱が肝心」とおっしゃっていますが、贅沢も極まると苦痛なんですね。
実家からは侍女を一人だけつれて宮家に嫁がれた伊都子さまですが、梨本宮家にいる「老女」つまり、お局様の女官こそが姑的存在というか、キツかったようです。「俗世間はなに一つ知らない。おうようなところもあるが、大変にみみっちい所もありました(原文ママ)」というのが伊都子さまの評価ですが、「お金の使い方が荒い!」みたいなことで、さんざん注意されたようですよ。裕福な大名家と、そうではない宮家では勝手が違います! とか言われて。
――ここにもやっぱり「女官」登場ですね。「みみっちい所もある」とは伊都子さんも辛辣な感じがしますが(笑)。でも、金遣いに関してはもともとが日本有数の資産家のご令嬢ですからね。