韓国で英雄視される「義烈団」と、日本警察の攻防――映画『密偵』から読み解く、朝鮮戦争と抗日運動の歴史
近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。
『密偵』
韓国映画界では今、近現代の歴史的出来事にフィクションの要素を加え、歴史を振り返りつつエンターテインメントとして仕上げた作品が人気だ。以前コラムでも取り上げた『金子文子と朴烈』『マルモイ』『スウィング・キッズ』などはいずれも、「事実(fact)」と「虚構(fiction)」を融合した「ファクション(faction)」ジャンルであると紹介してきたが、今回取り上げる『密偵』(キム・ジウン監督、2016)もまたその系譜だといえる。
だが一口に「ファクション」と言っても、作品の中での事実と虚構の割合はそれぞれだ。同作の監督を務めたキム・ジウンは、『クワイエット・ファミリー』(1998)といったブラック・コメディから『反則王』(00)、『グッド・バッド・ウィアード』(08)といった王道のアクションもの、ホラー作品の『箪笥』(03)まで、さまざまなジャンルを行き来しながら大成功を収めてきたヒットメーカーで、近年はハリウッドに招かれるほどの実力者でもある。
そんな監督のファクション作品であれば、事実よりも虚構の要素が強くて当然と思いがちだが、意外にも本作は、史実にかなり忠実に描かれている。今回のコラムでは、韓国でもあまり知られていない部分も多い本作をめぐる史実を、映画と照合しながら丁寧に紹介してみたい。
物語を紹介する前に、まずは本作を見る上で重要な固有名詞を確認しておこう。「義烈団」という存在をご存じだろうか? 日本史の教科書にも登場するはずなので、名前くらいは知っている人もいるかもしれない。
1919年、朝鮮全土で起こった「三・一独立運動」は、非暴力を掲げていたにもかかわらず、日本軍の武力行使によって多数の犠牲者を出すデモとなった。この事件をきっかけに、平和的な活動に限界を覚えた指導者たちは、大韓民国臨時政府の誕生と時を同じくして拠点を満州へと移し、「日帝の破壊と暗殺」を前面に打ち出した義烈団が結成されたのだ。
徹底抗戦を宣言した彼らは、「爆弾組」と「拳銃組」を組織して積極的に武器を持ち込み、総督府や警察署など日本の統治機関をターゲットに、破壊と暗殺をさまざまに試みた。それらの多くは失敗に終わったものの、彼らが命を顧みずに祖国の独立を目指したという点では、韓国近代史における英雄的存在だといえる。本作はそんな義烈団と日本警察の攻防を巡って展開する。
<物語>
1920年代の植民地朝鮮。独立のための資金集めに奔走していた義烈団メンバー、キム・ジャンオク(パク・ヒスン)は日本警察に追われ、日本の手先となっていた朝鮮人警部イ・ジョンチュル(ソン・ガンホ)の目の前で自殺。これを機に、義烈団メンバーの検挙に乗り出した日本警察は、ジョンチュルを使って古美術商の義烈団メンバー、キム・ウジン(コン・ユ)へと接近を試みる。団を率いるチョン・チェサン(イ・ビョンホン)との接触に成功したジョンチュルだが、日本警察という立場と朝鮮人のアイデンティティの間で揺らぎ、次第に義烈団に協力するようになる。
日本警察部長のヒガシ(鶴見辰吾)が送り込んだ警部ハシモト(オム・テグ)の監視をかいくぐりながら、義烈団を追うジョンチュル。一方で、義烈団の中にも密偵が存在し、そのせいで彼らの作戦は見破られ、一網打尽にされてしまう。一度は捕まったジョンチュルだが、自分は警察側の密偵として義烈団に近づいたにすぎないと訴えて釈放。見せしめのため、義烈団の女性メンバー、ヨン・ゲスン(ハン・ジミン)への拷問に加担させられながらも、ジョンチュルはウジンとの“ある目的”を果たすべく、隠してあった爆弾を持ち出して最後の行動へと移る……。
では、物語の展開に添いながら、それぞれのキャラクターを歴史と照らし合わせてみよう。