天皇・皇后両陛下が選んだ「宮妃」は「生活費3億円」のお嬢様!? “ていねいな暮らし”ぶりに庶民は呆然?【日本のアウト皇室史】
堀江 1897年(明治30年)10月、ついに梨本宮家の守正殿下(数え年で27)との結納が執り行われることになりました。伊都子さま(19)は、守正殿下とお会いしたこともありません。なのに、ある日、突然「あなたの結婚が決まったから」とご両親から言われると、それをお受けするしかないのです。
こうして、伊都子さまは、ご友人方から嫉妬されながら、華族女学校の卒業を目前に「寿退学」。自宅などで妃殿下教育をお受けになることになりました。この当時、華族女学校も3年になると入学時の3分の1程度にまで生徒は減っているのが普通だったとか。
――「寿退学」で、それだけ減るのですね。夫となる宮さまと伊都子さまが最初にお会いになったのは、結婚式の日ですか?
堀江 さすがにそういうことはありません。それでも結納が取り交わされてから約3年後、はじめて目黒の西郷従道侯爵(西郷隆盛の実弟)の別邸にて、ご対面ということになったそうです。緊張で会食どころではなかったそうですが、宮様からは初対面でダイヤの指輪をプレゼントされ、伊都子さま自身の言葉によると「一生懸命に心をつくして(宮さまに)一生を捧げたい」と思ってしまったようです。
お二人は終生、よいご夫婦でいらっしゃいました。
――あらあら、なんだか微笑ましい話ですね。
堀江 なお、娘と宮さまの結婚式のため、鍋島家がパリに特注した宝石類はすさまじい高額で、ティアラは当時のお金で2万数千円もしました。内閣総理大臣の年俸が9,600円の時代です。当時の1万円=現在の5000万円弱ですから、ティアラだけで1億円以上になります。ほかにも鍋島家はパリにいろいろな宝石類を娘の一世一代の晴れ舞台! という意気込みで頼んだようですよ。
1907年(明治40年)の雑誌「月刊食道楽」によると、当時の「中流」の4人家族の1カ月の生活費が30~40円だった時代ですから……計算するのもイヤになっちゃいますね。
――次回に続きます!