天皇・皇后両陛下が選んだ「宮妃」は「生活費3億円」のお嬢様!? “ていねいな暮らし”ぶりに庶民は呆然?【日本のアウト皇室史】
皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 前回まではこちら。
――前回から、「美しすぎる宮妃」と戦前に人気を博し、戦後には悲劇的な没落を経験したた梨本宮伊都子さんにまつわる伝説の数々をお伺いしております。伊都子さんは、大資産家の大名華族のご家庭に生まれ、元祖・お嬢様学校である「華族女学校」に通っていたとのことですが、実際は華族よりも、士族や平民の女生徒のほうが多かったそうですね?
堀江宏樹氏(以下、堀江) そうなんですよ。まぁ、華族や皇族の娘さん自体、数が限定されていますけどね。授業料でいうと、華族も、それ以外の生徒も同額だったようです。だから、それ以外の生徒さんはよほど、華族のお嬢様方と一緒の空気を吸わせたい!! という親の希望を背負って入学したのでしょう。
ちなみに手元の資料には、華族女学校の学費についてはなぜか記載ゼロなんですよね……。ただ、大名華族として標準的な家庭とおぼしき、某伯爵家の年間経費は、現在の貨幣価値に換算すると、な、なんと3億円弱(『女学世界』1904年・秋期臨時増刊号、黒岩比佐子『明治のお嬢さま』を参照)。
何十人もいる使用人、それからお父様のご側室や、その子どもなどの生活費も含む額ではありますが(笑)。
――額もすごいけど、側室って、家族と同居の愛人という意味ですよね!? 広いお屋敷にせよ、愛人とその子どもと同居生活ですか!
堀江 そうですねぇ。伊都子さまによると、大名華族のお家では3人くらい側室がいるのが普通。伊都子さまのお父様は1人だけで、その4人の子どもたちも分け隔てなく扱われていたそうです。ホントかな、とは少し思いますが、そういうことにしておきましょう。明治期の華族の男性に、側室がいた率は70%以上という調査もあります。なかなか複雑なご家庭も多かったのでしょうね。
それにしても、年間予算3億円のご家庭が「教育費として出してもいいよ」って額と同額になると、士族はともかく、平民のご家庭には高く思える授業料だったのではないかなぁ……。
ちなみに1906年(明治39年)に華族女学校と学習院が合体して、「学習院女子部」が誕生した時、華族の授業料は無料というルールになってるんですけどね。