勉強しすぎは女の価値を下げる!? 妃殿下、“お嬢様教育”の仰天実態は「高校を寿退学」がステイタス
皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 前回まではこちら。
――これまで、皇室の「菊のベール」に包まれた妃殿下に迫るべく、秩父宮勢津子妃の回想録を読み解いていただきました。現在の雅子妃にも通じるであろう、苦悩や慣習が想像できて、非常に興味深かったです。
堀江宏樹氏(以下、堀江) ご好評を頂いている「妃殿下シリーズ」ですが、今回からお話するのは才色兼備、「美しすぎる宮妃」として戦前に人気を博した梨本宮伊都子(なしもとのみや・いつこ、1882‐1976)の人生の物語です。
一部の読者は、V6・岡田准一さんが韓国の王族殿下役で出演した歴史ドラマ『虹を架ける王妃』(2006年、フジテレビ系)を覚えておられるやもしれません。映画『東京タワー』で、黒木瞳さん演じる魔性の主婦に翻弄される美少年を演じていた岡田さん。その面影がまだ残っている彼の軍服姿が凛々しかったドラマです(笑)。もう記憶の果てにいってしまっている方も多いでしょうが、DVDなども出ているので、よろしかったら。
そのドラマの中で、原田美枝子さんが演じていた妃殿下が伊都子さまです。一般には馴染みが薄いかもしれませんので、まれに見るような栄光と転落を経験なさった伊都子さまのお生まれなどを、簡単にご説明していこうかと思います。
伊都子さまのご実家は、鍋島家。旧・佐賀藩主の一族で、大名華族(侯爵)です。そして大資産家。明治初期の日本では10本の指に入るか、入らないかくらいの大金持ちのご令嬢・伊都姫(いつひめ)さまとして、彼女はそれは大事に育てられました。伊都子のお名前は、外交官だったご両親がイタリアの首都・ローマに滞在中にお生まれになったから。
――伊太利亜の都=伊都子。大金持ちの方はセンスも庶民と違いますね(笑)。そんな裕福な娘さんが皇室に嫁いだら、大変な苦労がありそうです。
堀江 ただ、伊都子さまご自身によると、鍋島家の家訓「子どもには贅沢をさせるな」が徹底されており、幼少時から掃除、洗濯、裁縫などを叩き込まれて育ったのだそうな。
――えー。意外ですね!
堀江 ちなみに当時の鍋島家には何十人もの使用人がいました。それなのに、というのが伊都子さまの主張のポイントで、永田町にあったお屋敷(現在、首相官邸のある場所)から、華族女学校までの通学も侍女と一緒に歩いて通わねばならなかった、ほかの生徒は人力車とかで通っていたのに……というようなことを、自伝『三代の天皇と私』(講談社)に書いておられます。でも距離にして、家と学校の間は約850メートル(徒歩10分ちょい)。
――それを歩くのが「厳しいしつけ」になるくらい、お嬢様だったってアピールでしょうか(笑)。
堀江 お嬢様伝説ですかね。95歳(数え年)で亡くなる直前まで、自分の足で歩ける健脚を誇った伊都子さまなんですが(笑)。