芸能
[連載]崔盛旭の『映画で学ぶ、韓国近現代史』

不朽の名作『息もできない』が描く、韓国的な「悪口」と「暴力」――“抵抗の物語”としての一面を繙く

2020/10/09 19:00
崔盛旭(チェ・ソンウク)

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『息もできない』

『息もできない』/ビターズ・エンド

 11月13日公開の韓国映画『詩人の恋』(キム・ヤンヒ監督、2017)に主演する俳優のヤン・イクチュン。在日朝鮮人の帰国事業をテーマにした『かぞくのくに』(ヤン・ヨンヒ監督、12)や、菅田将暉と共演した寺山修司の代表作の映画化『あゝ荒野』(岸善幸監督、17)など、日本映画でも活躍している俳優だが、実は彼、映画監督でもある。

 今から11年前、彼の長編デビュー作『息もできない』(09)は、ちょうど昨今話題の『はちどり』(キム・ボラ監督、19)のように世界の映画祭を席巻した。ロッテルダム映画祭、ドーヴィル・アジア映画祭、シンガポール映画祭をはじめ各国の映画祭で受賞し、日本では「東京フィルメックス」で最優秀作品賞と観客賞をダブル受賞したばかりか、世界的に見ても歴史のある映画賞「キネマ旬報ベスト・テン」で外国映画の1位まで獲得してしまったのである。

 ヤン・イクチュンはシナリオ、監督、主演の3役をこなし、国内外で高い評価を得て、興行的にも成功を収めた。デビュー作でここまでの記録を打ち立てるのは驚異的ですらあったが、次作への大きすぎる期待がプレッシャーになったのか、いまだ監督作が作られていないのは残念なことだ。今回のコラムでは、今もって映画としての魅力は色褪せていないヤンの『息もできない』を取り上げてみたい。

<物語>

 親友(先輩でもある)マンシク(チョン・マンシク)のもとでヤクザ稼業にいそしむサンフン(ヤン・イクチュン)は、大学生たちのデモに乗り込んで暴力を振るったり、無許可営業の屋台を容赦なく破壊したり、債務者の家を回っては無慈悲な暴力で借金を取り立てたりと、ことごとく最低な乱暴者だ。異母姉の幼い息子の遊び相手になるなど根は優しいものの、幼い頃、父(パク・チョンスン)の家庭内暴力が原因で母と妹を失うというつらい過去を持つ彼は、15年の刑期を終えて出所してきた父を前にして、イライラを募らせるばかり。そんなある日、女子高生のヨニ(キム・コッピ)と知り合ったサンフンは、自分のようなヤクザを前にしても物おじしない彼女に少しずつ惹かれていく。

 実はヨニの家庭も、決して幸せではなかった。ベトナム戦争の後遺症でPTSDを抱える父(チェ・ヨンミン)、無許可営業の屋台を潰された挙げ句に病死した母(キル・ヘヨン)、暗鬱な環境の家庭でますます暴力的になっていく弟(イ・ファン)と、ヨニもまたサンフンのような絶望的な状況に置かれていたのだ。サンフンとの出会いはヨニにとっても小さな救いをもたらし、2人は徐々に心を通わせていく。暴力的な自分を見つめ直し、ついにヤクザから足を洗う決心をしたサンフンだが、その先に待っていたのはあまりにも悲しい結末だった。

 物語を読む限り、「暴力的なヤクザ映画」だと本作を敬遠する向きもあるかもしれないが、この映画は完璧なまでに「メロドラマ」である。誰もが涙せずにはいられない展開の中で、サンフンの暴力も次第に彼の純粋さ故の葛藤であることが明らかになる。メロドラマの基本は「すれ違い」。サンフンの家族想いの優しさは表面上の暴力によってすれ違いをもたらし、ヤクザから足を洗おうと暴力をためらった瞬間に、彼に認めてもらいたい子分の暴力が爆発する。

 また、メロドラマにおいてもう一つの重要な点は、「登場人物が知らないことを観客は知っている」ところにあり、例えばヨニがサンフンに向かって幸せな家族のふりをすればするほど、彼女の家庭が絶望的に不幸なことを知っている観客は胸が痛む。瀕死のサンフンと彼を待つ人々を交互に映す編集は、観客だけがその悲劇を理解しているため、より一層泣けてくるのだ。ヨニとサンフンの家族ぐるみの因縁も含めて、こうしたメロドラマの要素が「家族」の主題と結びついて普遍的な物語となり、世界中で受け入れられたのだろう。

 だが今回は、本作のもう一つの特徴でもある「暴力」と多用される「悪口」から、韓国社会の一断面を考えてみよう。

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