「お次は悠仁さま」? 皇族恒例の伝統、後継者は「めんどうくさいからやらない」と本音ポロリ
堀江 ただ、小石丸は病気に非常に弱く、糸の量も少なく、皇居の外ではほかの品種の蚕に切り替える農家さんも増えました。昭和の末には、皇居でも「そろそろ止め時かなぁ」となっていたのですが、美智子様(現在・上皇后)が「なんとかもう少し……」と踏みとどまってくださったおかげで、伝統がつながったのですよ。
ただ、生き物相手ですから、難しさはありますよね。お蚕って、自分も昔、飼育キットでお蚕を最後まで育てたことがありますが、結構大変ですし、だんだんめんどくさくなった記憶が……。
雅子さまも、責任重大だと感じておられるのではないかな、と……。
――日本古来の伝統を、次の世に伝えるというお仕事も、男性というより女性皇族の重要なお役目なんですね。
堀江 そうですね。「文藝春秋」(文藝春秋)昭和51年2月号の「新春座談会 皇族団欒」という記事を見ていると、あきらかにそういう面は感じられました。逆にいうと、夫である宮様から押し付けられているような部分も感じられたり(笑)。
皇居のお正月行事の中に「歌会始」がありますね。それに提出なさるお歌以外にも、皇族となったからには、「お歌を詠んでいただかなくては……」という空気はあって、皇族がたには毎月毎月、歌のお題が与えられるのだそうです。
専門的には「ご兼題」というのですけど、そういう明治以前からの伝統の保存に非常に熱心だった貞明皇后(大正天皇皇后)が、ご存命だったころとはうってかわり、今では歌を詠むことは義務ではないということで、ほとんど詠まないという皇族方も増えた……というわけです。あくまで令和2年の話ではなく、昭和後期の話ですがね。
――ということは詠まない皇族もたくさんいらっしゃる?
堀江 昭和後期にはそうみたいですね。とくに男性皇族がた。高松宮宣仁親王はなんと「(毎月は)詠んでない、めんどうくさいから」とまで言い切っておられます(笑)。昭和後期の男性皇族の一部は高松宮さまのように「別に義務じゃないなら、詠まない」と言い切ることも可能だったようですよ。
一方、そう言い切れる自由があるらしい男性皇族がたに対し、妃殿下がたは「毎月出さなきゃならないから(高松宮喜久子妃)」「毎月は女だけね、東宮妃殿下(=美智子さま)初めとして……(秩父宮勢津子妃)」とコメントなさっています。男女格差ですね(笑)。
ただし現代では、そこらへんの事情についてはわかりませんよ。とくに平成の天皇・皇后両陛下は伝統の継承ということに非常にご熱心でしたから。トップの醸し出す空気に皇族全体が感化されるということもあるわけで、提出率は男女ともども、上がっているのではないかなぁ……とも個人的には思われます。