「お次は悠仁さま」? 皇族恒例の伝統、後継者は「めんどうくさいからやらない」と本音ポロリ
皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 前回まではこちら。
――5月頃、雅子さまが、美智子さまがこれまでお世話していた「お蚕の飼育」を引き継いだというニュースがありました。これは女性皇族だけのお仕事といえるのでしょうか?
堀江宏樹氏(以下、堀江) はい。女性皇族のお仕事というと、「お世継ぎを……」とかいう話ももちろんなのですが、さまざまな人と会い、さまざまな場所を訪問する、通常のご公務のほか、文化・伝統の継承も見逃せないです。
――妃殿下は大変ですね。
堀江 そうですねぇ。さて、先程のお蚕の話題ですが、正式には「御養蚕始の儀(ごようさんはじめのぎ)」のことですね。歴代の皇后陛下が、皇居内の御養蚕所で蚕を飼うという伝統がありました。明治4(1871)年以来の「長い」伝統です。
皇后さま直々にお世話する蚕は「小石丸」という純国産の特別な品種なんですね。明治時代の日本の輸出物のトップは長い間、生糸……つまり、蚕のマユを解いて作られる絹糸でした。小石丸の糸は、その他の蚕の糸よりも2分の1程度の細さなのに強靭で、つややか。織物に仕上げた時、薄くて軽いのに丈夫な布に仕上がるのが最大の特色です。
たとえば、いわゆる「十二単」などの御装束は、究極の重ね着というかレイヤードファッションなのですが、小石丸の絹糸で織られている場合、重さも厚みも何割もダウンさせられるので、着心地も見た目もグンとあがるのです。
美智子様が育てられた小石丸の絹糸が、正倉院(8世紀の聖武天皇・光明皇后の遺品を中心とするコレクション)に受け継がれた絹織物などの修復に使われたりしたこともありましたね。