52歳の父が若年性アルツハイマーに……「まともな会話もできない」「無表情で無言」娘の感じた異変
義徳さんは、若年性アルツハイマー病だった。診断されたとき、まだ52歳。麻美さんは18歳、高校生だった。
「それまでに小さな異変はたくさんありました。母が骨折しても、話しかけることもなく無表情でした。私と友人を車に乗せたとき、友人が挨拶しても無言、無表情だったので、『怖いお父さんだね』と言われたこともあります。ブドウのことを『黒い卵』と言ったり、リンゴと梨を間違えたり。同じ単語を何度も使って話してくるので、何を言ってるのかさっぱりわかりませんでした。その当時、“チラシ”とか”内緒“という言葉を連呼していました」
病院を受診したのは、義徳さんが職場で問題を起こすようになったからだった。
「建設業だったのですが、トラックを運転して逆走したりしたようで、同業の父の友人から『脳に問題があるかもしれないから、病院に行った方がいい』と言われたんです」
義徳さんの言動や様子から、家族も普通ではないと感じていたため、若年性アルツハイマー病と診断されてショックは受けたものの、「やはり」と納得する思いもあったという。
一方、義徳さんはすでに症状が進んでいたため、自分が病気だということも理解できていなかった。「どこも痛くないから、病気なんかじゃない」と言っていたのを、麻美さんは覚えている。
麻美さんは、義徳さんのことが大嫌いだったと、当時を振り返る。
「意味不明なことを話すし、まともな会話もできません。友達とはふざけて『アルツハイマーじゃない?』と笑っていたんですが、それが本当になるなんて信じられませんでした」
麻美さんはまだ高校生。アルツハイマー病についての知識はほとんどなかった。
「このころ、渡辺謙さん主演の『明日の記憶』を見て、号泣しました。若年性アルツハイマー病を治す薬はないし、進行性の病気なので、父がこれからどうなってしまうのか、不安とショックで涙が止まりませんでした」
――続きは、9月20日公開