韓国ドラマ『愛の不時着』、30代女性が「リ・ジョンヒョクになりたい!」ワケ――周囲に大笑いされた“欲望”とは?
この世界は、自らが望むか望まざるかにかかわらず、孤立状態に追い込まれがちだ。他人と親密な関係を築くことは一般的に好ましいこととされるが、現実はそう簡単ではないからだ。他者と共に生きようとすれば、一人でいれば無縁だった悩みも抱えることになる。生じた摩擦が、耐えがたいほどの痛みをもたらすこともある。金、権力、知性に恵まれたユン・セリなら、一人ぼっちでも取れる選択肢は多い。本当は孤立したかったわけではないが、ある種合理的な判断でもあったのだろう。そんな彼女に、心に他者を住まわせることの豊かさを思い出させたのはリ・ジョンヒョクだった。
一方、物語が中盤に差し掛かってくると、今度はユン・セリのほうがまるで王子様のように、リ・ジョンヒョクの心を自由にしたり、危険から守ったりする描写も増えてくる。リ・ジョンヒョクもまた、“孤立の檻”に自分を閉じ込めていたからだ。
彼は尊敬する兄をある「事故」で失った過去を持つ。しかし、その「事故」とされた悲劇の背後には、祖国の暗殺部隊の影が見え隠れする。愛する者の耐え難い死を経験したリ・ジョンヒョクは、彼が劇中で回想する通り「未来を夢見ることをやめ、誰も愛さなかった」のだ。ユン・セリが彼の世界に、不時着するまでは。
どうして私はリ・ジョンヒョクになりたいのか?
男女のロマンチックラブストーリーといえば、主役カップルの恋模様に焦点が集中していくものだが、このドラマでは「恋愛」だけでなく、2人が心を開いてこそ見えてくる周囲の人々との間の多様な愛も、魅力的に描かれる。分断ばかりが目につく時代に愛の力を肯定する、心温まるドラマだろう。
そんなドラマに登場するリ・ジョンヒョクに対して「憧れ」の気持ちが生まれるのは、少なくとも私にとっては、彼が女性の求めるタイミングで颯爽と助けにきてくれるからでも、かいがいしく麺をゆでるスキルを持っているからでもない。
当たり前に異なる他者同士であるリ・ジョンヒョクとユン・セリが出会い、互いの心を解放し合う。王子様とお姫様を軽やかに行き来しながら、男だとか女だとかいうラベルは、もはや意に介すそぶりもない。力を合わせて困難を乗り越えながら、「生きている実感」を確かなものにしていく2人の姿が、ただカッコよくて美しいのだ。
だから私は、リ・ジョンヒョクみたいに誰かの心を解放するような「王子様」になりたい。この決意を新たにするために、何周目か分からない視聴を今後も続けるだろう。
■加藤藍子(かとう・あいこ)
1984年生まれ、フリーランスの編集者・ライター。 慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、全国紙の新聞記者、 出版社などを経て独立。働き方、ジェンダー、アート、 エンターテインメントなど幅広い分野で取材・随筆を行う。