韓国ドラマ『愛の不時着』、30代女性が「リ・ジョンヒョクになりたい!」ワケ――周囲に大笑いされた“欲望”とは?
今年2月からNetflixで配信されている、韓国の人気ドラマ『愛の不時着』。日本でも大ヒットし、タレントの笑福亭鶴瓶や黒柳徹子、藤田ニコルら多数の著名人が「ハマった」ことを公言している。そんなドラマの魅力は、一体どこにあるのだろうか? ジェンダーやエンターテインメントに詳しい加藤藍子氏に、“恋愛”だけではない本作の魅力について寄稿していただいた。
【※以下、ネタバレを含みます※】
韓国ドラマ『愛の不時着』ブームが止まらない。2020年2月後半にNetflixで配信開始以来、総合トップ10入りを保持。全話鑑賞したファンは「不時着ロス」を避けるべく周回視聴を続け、7月に入っても、Twitterの鑑賞実況用ハッシュタグがトレンド入りすることもあったほどだ。なぜこんなに、熱狂するのか。
物語は、韓国の財閥令嬢で、企業経営者でもあるヒロインのユン・セリが、パラグライダー飛行中に竜巻に巻き込まれ、あろうことか38度線を越えて北朝鮮に不時着してしまうところから始まる。そこで出会うのが、北朝鮮のエリート将校リ・ジョンヒョクだ。
「北」には、少なくともこのフィクションで描かれている限りでは、法治という概念が存在しない。当局に見つかれば、速攻で殺されるかもしれない極限状態の中、リ・ジョンヒョクはユン・セリをかくまい、あの手この手で南への帰還を助ける。その過程で2人の間に愛が芽生えるという、設定は斬新だが、「胸キュン」の王道はがっちりとつかんだラブストーリーだ。
『愛の不時着』は男女の役割が逆転するから“胸キュン”ではない!
このドラマについてのレビューや評論では、女性のために粉からこねた麺で料理をつくったり、コーヒーを淹れたりするリ・ジョンヒョクの振る舞いが度々注目され、「性別役割分業が逆転している描写が素晴らしい」とされているのを見かける。それはそうだが、私たちは「性別役割分業が逆転すれば、胸キュンする」というわけではない。
見始めるやいなや熱狂した一人である私の中には、別の強い感情が湧いた。大切にされるだけじゃ、我慢できない。私はリ・ジョンヒョクになりたい、と。それは彼の存在が、「男だから/男なのに」というラベルを剥がしても成立する魅力を持っていたからではないか。
「リ・ジョンヒョクが、完璧すぎますよね。まあ、あんな王子様、現実にはなかなか存在しないですけど!」
コロナ禍の緊急事態宣言が解除された6月、久しぶりに髪を切りに出かけたら、私と同い年の美容師さんが興奮気味に話を振ってきた。もはや、珍しいことではない。外へ出かけると、しょっちゅう「不時着見た?」という会話が聞こえてくる。カフェで隣席に座っている男性が、友人とみられる女性に、大げさな身振りで「リ・ジョンヒョク名場面」を再現しているのも見かけた。このドラマの最高なところはたくさんあるのだが、そんな「不時着済み」の人たちの間で「これはまあ、言うまでもなく前提なんだけど……」という共通認識になっているのが「リ・ジョンヒョクが最高にかっこいい」という真実だ。
そのリ・ジョンヒョクに、私がなりたい、と思ってしまう――。この欲望を周囲に打ち明けると、大笑いされることが多い。無理もない。私は腕っぷしにも体力にも不安のある、気は強いが一見おとなしそうな30代女性だ。一方のリ・ジョンヒョクは、軍人らしい堂々たる肩幅。ネタバレになるが、ユン・セリを守るために銃弾を受け、どうにか一命を取り留めて間もない重傷状態にあってなお、数人の敵を一人でなぎ倒せるレベルの戦闘力がある。軟弱そうな女が、頑強な完璧男を目指すと豪語する。そのギャップが笑いを誘うのだろう。
でも、違うのだ。私は決してマッチョになりたいんじゃない。美容師さんが「王子様」と表現したときに、もしかしたら彼女も潜在的に求めていたかもしれない、男とか女とかを超越した存在に、憧れるのである。