「兄を家族として認められたかも」両親の介護で変わった、生活保護の43歳・兄との関係
“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)
そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。
中村万里江さん(仮名・35)の父博之さん(仮名・68)は4年前、クモ膜下出血で高次脳機能障害を発症し、今は有料老人ホームに入居している。母の晃子さん(仮名・68)は、2019年にステージ4のがんが見つかり、今年になって主治医から終末期に入っていることを告げられた。両親の今後のことを考え、家族信託について調べていた中村さんは、晃子さんの通帳から多額のお金がネットワークビジネス運営会社に振り込まれているのを見つける。
しかも、同じ会社が関係する瞑想グループにも入り、その仲間が精神的な支えとなっていたのだ。晃子さんと話し合った結果、ネットワークビジネスをやめることはできたが、瞑想グループから抜けることはできず、中村さんの心労は続いている。
(前回はこちら:ネットワークビジネスの仲間を断ち切れない母――「怒りが湧く。自宅に来るのが怖い」介護する娘の心労)
終末期の母のために家族が集まった
現在、晃子さんは自宅で療養しており、中村さんは夜は実家で寝るようにしている。
晃子さんのこれからについて、中村さんはいくつかの選択肢を調べているところだ。そのひとつがホスピスだ。
「母はホスピスに対して、死ぬところというイメージを持っているようですが、見学してみるとこれまで入院してきた外科とはまったく違いました。母は明確に『最期は自宅で』と意思表示しているわけではないので、本当につらくなってから決めるというのでも、いいかなと思っています」
そして、晃子さんが博之さんともいつ会えなくなるかもしれないと、家族で集まることにした。
「まず、私一人で父のホームに行って、母の病状を説明して、いつ最期になるかもしれないことを伝えました。その後に、関西から帰ってきてくれた兄と母を連れて、父のところに行きました。兄には母が終末期であることを伝え、帰ってきてくれないか聞いたら、アルバムを持って帰ってきてくれたんです。みんなでアルバムを見て、思い出話もできました」
ところが、博之さんは晃子さんの病状を理解したせいか、余計に「家に帰りたい」病が出てしまったという。
「もう、父の『帰りたい』にも慣れた気がします。母が自宅にいるというと、パニックがひどくなるので、今は母が病院にいることにして、『家には母もいないし、鍵も持っていないから帰れないよ』と伝えています」
晃子さんも、博之さんが一時帰宅すると、「もうホームに戻らない」と言い出して手が付けられなくなることがわかっているので、一時帰宅に前向きではないという。とはいえ、晃子さんの免疫療法の結果次第では、博之さんを一時帰宅させることも検討するかもしれないと、揺れる気持ちを語ってくれた。