「母がネットワークビジネスにハマっていた」がん終末期に明らかになった、“常軌を逸した”投資金額
“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)
そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。30代で両親を介護する中村万里江さん(仮名・35)の話を続けよう。
中村さんの父、博之さん(仮名)は2016年、64歳のときにクモ膜下出血で高次脳機能障害を発症し、母の晃子さん(仮名・当時64)と一緒に介護をしていた。引きこもっていたことのある兄(43)は、関西で生活保護を受けながら暮らしている。事故で軽い高次脳機能障害を負ったものの、一人暮らしができるくらいに回復してホッとしたのもつかの間、2019年、晃子さんにステージ4のがんが見つかる。
晃子さんが胃のバイパス手術をするため、博之さんをショートステイに預けたが、施設からは厄介者扱いをされ、博之さんが安心して暮らせる有料老人ホームを探して移ることになった。
(前回:「お母さんに告知しますか?」がんステージ4の母、要介護4の父)
母も私も一人暮らしを続ける
博之さんの居場所は見つかった。晃子さんもいったん退院して、訪問看護と訪問介護を利用しながら自宅で生活することになった。ただ抗がん剤治療を始めたが、晃子さんの状態が悪くなり、中止せざるを得なかった。
「一人暮らしになった母が自宅のお風呂場で転んで、脱臼骨折して病院に運ばれたこともあります。私が実家に戻ることも考えましたが、自分の精神状態を健康に保つためには、一人になれる空間は絶対に欠かせない。それで私も母も一人暮らしという形を続けています」
ホームにいる博之さんは時折「家に帰りたい」病を起こして、ホームを抜け出そうとする。「帰りたい!」と思ったら、ひたすら何十回も叫び続けるのだという。
「失語症とはいえ、何か言いたいことがあると、その単語は出てくるようです。こちらが理解できるレベルではありませんが。ちなみに、こちらが言うことをどれくらい理解できているかもわかりません。『メガネを取って』と言って、足が出たりしますから(笑)」
がん終末期に入った母。通帳を見ると……
そんな小さな事件はあるものの、中村さん家族の状況はいったん落ち着いたと思われた。が、今年3月に晃子さんの体調が悪化した。
「食べ物を吐いてしまうようになり、病院に行ったところ、がんが大きくなって食べ物が通る道をふさいでいることがわかり、詰まった食べ物を取り出す処置をしてもらいました。固形物がとれなくなったので栄養剤を出してもらうことになり、その際主治医から『終末期です』と告げられました」
終末期――とはいえ、主治医から「免疫療法があるので、やってみませんか」と提案された晃子さんは、免疫療法を受ける決断をする。今は、2週間に1回点滴を受けているところだ。
中村さんの話を聞く限りでは、晃子さんは悲観することも、取り乱すこともなく、淡々と病気や治療に向き合っているように思える。自分が終末期を宣告されたら、晃子さんのように強く、前向きにいられるだろうか? 中村さんの話を聞きながら自問した。晃子さんの強さはどこからきているのだろうか。そんな問いに対して、中村さんは晃子さんをこう分析する。
「母は以前から『人間、いつ死ぬかもしれない』と言っていました。もともと病気になる前から、気功とか、見えないものへの興味が強かったんです。母は教員だったんですが、退職後に気功などで健康維持をする勉強をして、人に教えるようにもなっていました」
それが、“常軌を逸して”いたことが判明したのは、晃子さんが終末期と宣告されたこの3月のこと。