カルチャー
[サイジョの本棚]

本国で13万部の大ヒット! 注目の韓国文学『わたしに無害なひと』が、“私たち”に響くワケ

2020/07/17 17:30
保田夏子

 本作の最も特徴的で巧みな構造は、そんな“強者の無神経さや残酷さ”を嫌悪している語り手のほとんどが、大切な相手を“無神経で残酷に”傷つけてしまった過去を回想しているところだ。

 自分の意向なのに「あなたのためだ」と恋人に別れを切り出したイギョン(「あの夏」)、親友の真剣な苦しみと愛情をまともに取り合おうとしなかったナビ(「砂の家」)、カムアウトした友人を「人間じゃないみたいに」見て何も言えなかったミジュ(「告白」)――。人を傷つける無神経な振る舞いを憎んでいるのに、相手との関係において知らず知らず“強者”の側に立っていた時、大事だった相手に自分が同じことをしてしまう。そんな人間の弱さや醜さも含めて描き切っているからこそ、単なる“きれいな思い出”で終わらないインパクトを読者の胸に残していく。

 「差しのべる手」で描かれる、突然消息を絶った叔母のステージをこっそり観に行った語り手・ヘインが「暗いほうからは明るいほうがよく見えるでしょ。でも、どうして明るいほうからは暗いほうがよく見えないのかな」という言葉をふいに受け取るエピソードも暗示的だ。明るい場所に立つ人には、普通にしていたら暗いほうに立つ人が見えない。明るいほう――強いほうが弱者に無神経になれるのは、とびきりひどい悪人だからとは限らない。もしかしたら、自分も「明るいほう」に立ってしまえば、暗いほう――弱いほうの痛みは、目を凝らさなければ、想像しなければ、見えにくいものなかもしれない。

 弱いほうに立つ誰かを傷つけたくはない。それでも、一切誰も傷つけずに「無害」に生きてきたと胸を張って言える人は、ほとんどいない。語り手たちは、そのことにうっすら気づいていながらも、自分が「有害なひと」であった瞬間に鈍感になれない。その繊細さを少しじれったく感じつつも、「仕方がなかった」「相手も悪かった」と開き直れずに誠実にもがく彼女ら彼らの様子が、不思議と自分自身の忘れたくても忘れられない苦い記憶や傷を探し当てる。しかし、遠い過去となったからこそ、一歩引いてみられるようになっている自分に気づくはずだ。年を重ねるたびに味わい深くなる、何度でも読み返したい1冊だ。
(保田夏子)

最終更新:2020/07/17 17:35
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