「突然大声を上げて怒り出す」要介護4の父と生活保護の兄……30代女性が背負った“家族”と“介護”の現実
“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)
そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。
多くの親が「ヨロヨロ・ドタリ期」に入るのは、この超高齢化社会においては80代から90代となっている。もちろんそれに合わせて、介護する子どもも60代、ときには70代となっていく。「老老介護」だ。
その一方で、若いうちから親の介護に直面する子どももいる。今回ご紹介するのは、中村万里江さん(仮名)。35歳という若さだ。中村さんの両親もまだ60代。介護の話を聞くのが申し訳なく思えるほどだが、中村さんは思いのほか快活な女性だった。
介護をしているから暗い、というのは偏見であることはじゅうぶん承知している。それでも、もし自分が中村さんの立場に置かれたら、とてもこんなに明るくはふるまえないだろうと思う。
父のパニック症状に戸惑う
コトのはじまりは、2016年。中村さんの父、博之さん(仮名・当時64)がくも膜下出血で倒れたのだ。
「頭が痛い」と訴える博之さんに、母の晃子さん(仮名・当時64)はすぐに救急車を呼んだ。搬送された病院で手術、2カ月ほど入院したのちにリハビリ病院に移り、3カ月機能訓練を受けた。
自宅に戻った博之さんは、左半身のマヒと、高次脳機能障害で要介護4と認定された。入浴介助はヘルパーが必要だったが、トイレや食事は自分でできていたというので、身体状況はそれほど深刻ではなかったといえるだろう。
「ただ、失語と半側空間無視(※1)がありました。発することのできる言葉は『はい』くらい。でも数字と曜日だけには強いんです。不思議ですよね。母と私は、父がときどき起こす“感情失禁”(※2)といわれるパニック症状にとまどいました。もともと声が大きい人だったこともあり、何かに対して気に入らなかったり、イライラしたりすると、突然大声を上げて怒り出すんです」
※1 視力に問題がないのに、目にしている空間の半分に気が付きにくくなる障害
※2 ちょっとしたことで突然泣いたり、怒ったり、笑ったりするなど、場に応じて感情を抑制することができず、人前で表出してしまう状況
中村さんはずっと海外で働いていたのだが、博之さんが倒れた頃は仕事を辞めて帰国、実家に戻っていた。晃子さんとともに博之さんの介護に当たることができたのは、晃子さんにとっては幸運だったといえるだろう。二人で試行錯誤しながら、博之さんへの対応の方法を編み出していった。
「感情的になったらいったんその場を離れる。それから父に何が言いたいのか聞いても、答えられないので、質問するときには『はい』『いいえ』で答えられるようにしました。ただ、何でも『はい』なんです(笑)。なので『はい』の言い方で、答えを推測することができるようになっていきましたね」
とはいえ、中村さんにとって、常に博之さんのそばにいるのは楽なことではなかった。再就職した中村さんは、博之さんが倒れて2年後、実家から自転車で5分の場所で一人暮らしをはじめる。こうして、晃子さんをサポートしつつ、博之さんを介護する体制が整っていった。