『ザ・ノンフィクション』言葉にしないで黙る彼女たち「19歳の漂流 ~妊娠…出産…家族を求めて~」
番組冒頭で、橘が不平不満を漏らす少女に対し「ちゃんとね、逃げたりとか、うざいとか、むかつくとかいう言葉だけじゃなく、どうしてそう思うのか(伝えてほしい)」と諭していた。この言葉は、少女たちと向き合う橘の根底にある思いに思える。「どうして」を伝えない、伝えられないのはセナとマリにも共通するように見えるのだ。
というのも、二人とも「妊娠」という人生の一大事が発覚した際、セナは相手の男性にそれを告げるも返事がないことに諦めたのか、一人で育てることを決意し、マリに至っては相手が学生だから「迷惑がかかる」としきりに口にし、相手には「ほかの人の子どもを妊娠した」と伝えていたという。
子どもは一人で作れないのだから、相手にも責任はある。彼女たちは「なぜ自分は相手に何も言えないのだろう?」と疑問を持つこと、考えることに蓋をしているように見えてもどかしかった。
「妊娠した」→「相手から返事がない/相手には言えない」→「どうしたらいいかわからない」。「どうしよう」と困っている状態は、考えているとは言えず、問題を放置しているだけではないだろうか。「どうすればいいんだろう」「どうすればよかったんだろう」と自分に問い続け、考えていかないと人生は短絡的になり、周りに翻弄されてしまいやすくなるのではないだろうかと思った。
番組の最後で、30歳になったマリは「頑張ってきたはずなのに、何も変わってない。悪あがきしただけなのかな」 とこぼしていた。考えのない状態での頑張りは、方向がずれた「悪あがき」にもなりかねないように思える。一方で、30歳のマリには自分の人生を洞察する「考える力」がついている。19歳の時点でその力があれば、と思う。
言葉にしないで黙る彼女たち
まだ若いのに頼れる環境もなく、経済的にも精神的にも極めて不安定な生活の中で生き抜かねばならない少女たちに、「考える力」をつけろというのも酷な話だ。何より悪いのは、そんな状況の少女たちに付け込んで妊娠させた挙句、返事もしなかったり、妊娠の事実を告げることすら諦めさせた相手の男性たちだ。
あらためて、彼女たちの妊娠時の諦めのよさを不思議に思う。相手のことがまだ好きだから、妊娠を告げて困らせたくないのか、相手にうんざりしていてこれ以上の関わりを持ちたくないのか、トラブルになることで自分自身が傷つきたくないのか、相手のことが怖いのか――。それすら、言葉にしないで彼女たちは黙る。言葉にすることを、考えることを先送りにしたら、またそういった問題は形を変えてやってきてしまうのではないだろうか。
次週のザ・ノンフィクションは「孤独死の向こう側 ~27歳の遺品整理人~」。「孤独死の現場」を“ミニチュア”で再現し孤独死の現実を世の中に伝える27歳の遺品整理人、小島美羽。小島と社長の増田が見つめる孤独死の現場について。