光州事件の被害者・加害者の双方の苦しみを救った、韓国映画『26年』の“ファンタジー”性
近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。
『26年』
1980年5月の光州。家の中で、生まれたばかりの子どもの名前を相談する若い夫婦に突然飛んでくる銃弾、そして子どもを背負ったまま息絶える母親。好奇心で見物していたデモから逃げ遅れた姉弟にも銃弾が容赦なく降り注ぎ、体内から漏れ出る臓器を抱えながら弟を逃がそうとする姉。行方不明の夫を探して、腐敗し蝿のたかる死体の山をかき分ける妻。市民と対峙した恐怖で、反射的に惨殺してしまう戒厳軍の兵士……。
韓国映画『26年』(チョ・グニョン監督、2012)の冒頭、アニメーションで描写される光州事件の様子だ。残酷と思われる描写もあるかもしれない。だがこれらはすべて、光州事件の写真や証言として語られてきた真実がもとになっている。この場面だけアニメーションを選択したのは、原作が同名のウェブ漫画だという事情もあるのだろうが、この事件がデモ隊以外の市民をも惨殺した事件だったことを知らしめる意図も隠されているのかもしれない。
前回取り上げた『タクシー運転手 約束は海を越えて』が事件当時を描いた作品であるのに対して、今回の『26年』は「その後」をテーマにしている。光州事件で大切な人を失った遺族たち、あるいは思いがけず加害者となった兵士が、「その後」をどのように生きたのか。映画ではその帰結としての彼らの大胆な計画が、アクションたっぷりに描かれるが、これは決して馬鹿げたフィクションなどではない。前回は事件の歴史的経緯を中心に紹介したが、今回は生き残った人々のトラウマについて焦点を当ててみよう。