五代目山口組、若頭射殺事件のヒットマン満期出所! 元極妻が語る“襲撃犯”の悲しき「その後」
今は亡き某指定組織の三次団体幹部の妻だった、待田芳子姐さんが語る極妻の暮らし、ヤクザの実態――。
宅見勝若頭射殺事件のヒットマンが出所
あの五代目山口組・宅見勝若頭射殺事件のヒットマンの一人が4月28日に出所したことが報じられましたね。1997年の事件ですから、20年以上前のことです。
元ヒットマンが懲役20年の刑を終えて出所することは、以前から関係者の間では話題になっていましたし、すでに出所している方もいますが、やはり「週刊実話」(日本ジャーナル出版)の記事を読むと感慨深いものがあります。雷雨の中、コロナ禍で閑散とした空港に降り立つ元ヒットマン……。なんか映画の場面みたいですね。記者さん、GJです。
ホテル内での凶行で市民も巻き添えに
事件は1997年8月28日の午後、JR新神戸駅のホテルのティーラウンジで起こりました。突然乱入してきた4人の作業服の男が3人の山口組幹部と同席していた宅見若頭にむけて一斉に拳銃を乱射し、隣席の無関係の方にも流れ弾が当たってしまいました。この方は9月3日に死亡しています。
大組織の大幹部射殺というだけでも大騒ぎですが、普通にお客さんがいるティーラウンジでの銃乱射、しかもカタギさんが巻き添えになったことで、山口組は窮地に立たされることになります。そして、山口組執行部は28日のうちにヒットマンは中野太郎会長率いる中野会系の組員と断定しました。
警察がヒットマンを別件逮捕するのはなぜかずっと後なんですけど、中野会長以下組員は「針のむしろ生活」を送ることになります。当時の中野会長は山口組若頭補佐を務めていたのですから、大謀反ですよね。
中野会長は関与を否定し続けましたが、破門のち絶縁という処分を受けて中野会は解散に追い込まれます。この処分の仕方も微妙すぎます。中野会長の著書『悲憤』(講談社)によると、山口組執行部は中野会長に対して何の聞き取りもないまま8月31日の若頭葬儀のあと「破門」の処分にしています。詳しいことは、こちらをお読みください。
執行部は「絶縁」を主張しましたが、トップである五代目山口組・渡邉芳則組長が「まだ中野と決まったわけではないやないか」と反論したそうです。破門というのは「復活の余地がある処分」ですから、身内のナンバー2を本当に殺していたのであれば、普通はありえません。ソッコー絶縁(復活できない処分)のはずです。実際に後に絶縁になっていますが、これは「流れ弾が当たったカタギさんが亡くなったから」で、むしろ世間体を意識した処分なんですよ。
とはいえ、若頭襲撃班のメンバーは哀しい運命をたどります。