「自分がホントの天皇」稀代のニセ皇族“熊沢天皇”現る! 56歳、雑貨屋店主の一生と“禁断の野望”
皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「天皇」のエピソードを教えてもらいます!
堀江宏樹(以下、堀江) 第二次世界大戦後、日本各地で約20人の自称・天皇が出現していたってご存じですか?
――ええっ!? 初耳です。どういうことですか?
堀江 「偽天皇」たちですね。それぞれの家に受け継がれた系図や文物をもとに、自分の正統性を主張するわけですが、専門家が調べれば、すぐにカタがつくケースが圧倒的多数でした。
そもそも天皇家の歴史は「万世一系」(ばんせいいっけい)、古代から現代までの約2000年間、男系相続によって受け継がれてきました。つまり、同一の家系の中で、「正統後継者」によって、皇位は継承されてきたのです。しかし、皇位継承でモメたことは史上何度もありました。一番大変なことになったのは、「南北朝時代」といわれる14世紀半ばの一時期です。
――歴史の教科書で習ったことはありますね……。あまりよく覚えていないですが(苦笑)。
堀江 14世紀半ばの約57年間、日本には2つの皇室がありました。それが南北朝時代です。後嵯峨天皇(第88代)という方が、2人いた有力な皇子のどちらを自分の後継者にすると決められぬまま亡くなったのが災いしました。2人いた皇子は、母親も同じだし、それぞれが後深草天皇(第89代)、亀山天皇(第90代)というカタチで天皇も経験しています。実力同等の2人は真正面から争うことになります。兄弟が亡くなったあとはその子孫たちが、軍事勢力をも巻き込んで日本中で内乱を生んでしまったのでした。おまけに乱世ということで、天皇の皇子であろうが、伝記が詳しくわかっていない方々もこの頃はたくさんおられます。しかも人間関係が複雑。
ですから、このあたりの皇族は、偽系図を作る素材としてはもってこいだったと思われます。今回からお話する通称「熊沢天皇」は、南朝時代のある皇子を先祖に持つと主張する偽天皇でした。ちなみに一気に20人ほども出たので、「雨後のタケノコ天皇」とすらいわれた偽天皇たちですが、熊沢天皇はその中でもっとも人気があったとされます。
――戦後のドサクサに紛れて……ということでしょうが、背景が気になります。
堀江 敗戦の翌年である昭和21年(1946年)のお正月には、昭和天皇による「人間宣言」が行われています。そしてその直後の1月18日、熊沢天皇のマスコミデビューが、英字新聞「Pacific STARS&STRIPES」で行われました。「星条旗」という意味を持ったこの日刊新聞は全編英語で、日本と韓国で無料配布されていたアメリカ軍の機関紙です。つまり、熊沢天皇の「デビュー」時期は周到に計算されていたのかもしれません。ただ、熊沢天皇の記事の見出しは「Says He’s Emperor」……「自分がホントの天皇だという男あらわる」という、嘲笑めいたニュアンスが込められていました。
熊沢天皇こと、熊沢寛道(くまざわ・ひろみち)は当時56歳。すでに頭は禿げ上がり、現代の感覚では70代にも見えますね。本業は、名古屋市千種区内での洋品雑貨屋「日の出や」の経営です。雑貨屋の店主としての平凡な人生に疲れ、天皇に「ジョブチェンジ」したくなったのかもしれませんね。