天皇が女官の顔を“ペチョペチョ”舐める!? 皇后さまの嫉妬爆発、「女の園」の日常風景【日本のアウト皇室史】
――夫である天皇と女官のたわむれを見せつけられるなんて、貞明皇后にとっては食事どころではないくらいにイヤな気分ですよね?
堀江 イヤな空気があまりに漂ったときは、天皇から身を引いたようです。玉突き場(ビリヤード場)に、「ささっ」と避難しちゃうのが常だったそうで。しかし、そこにも坂東登女子をお召し出しになり、「追っかけっこ」を運動代わりになさることもあったとか。
テーブルの周りで2人で鬼ごっこするわけですが、その時天皇に捕まってしまうと、原文によると「ペチョペチョペチョッとこういうとこ(頬)おなめんなる」……大正天皇がふざけて、坂東登女子のほっぺをペロペロしちゃうという(笑)。彼女いわく、ものすごくイヤで「気持ち悪うて気持ち悪うて」だったそうですが……。
――それって完全にアウトですよね!
堀江 そう。「お茶目さん」では片付かない、完全にアウトな行為ですね(笑)。でもこの時、坂東登女子のトークが実にキラキラしているような気がするんですよ。やけになめらかに危ない逸話もぽんぽん出てきて、話が進んでいるように見受けられます。まぁ、ワタシにそれだけ魅力があったから……的なマウンティングを感じずにはいられない箇所ですね。
たとえば闘病中の大正天皇がソファにお座りになるというとき、クッションを用意してさしあげなくてはいけないのですが、貞明皇后じきじきにクッションをあてがうと、それを天皇は「節子(=さだこ、貞明皇后のこと)ええよ」、と。この時代、皇室や宮家、そして多くの公家たちは東京ですでに暮らしているのですが、いまだにプライベートでは完全に京都弁というか、御所言葉だったりしたようですよね。そして、御所言葉にありがちな裏表のある感じでコミュニケーションが取られていました。
「節子、あなたがしなくていいよ」という言葉は表面的にはやさしいけど、「あなたじゃないほうがいいから、坂東登女子を呼んで」と大正天皇は本音では嫌がっている。それが貞明皇后を不機嫌にさせるというようなことがあったそうな。皇后の不機嫌さについては、坂東登女子いわく「更年期障害があらしゃる」とのことでしたが、ほかにはヒステリー気味だったと言いたかったのでしょうか。原文表現によると「ちょっとおきちがいさんみたいにおなりになった」こともあったそうで。
――「おきちがいさん」ですか……。
堀江 はっきり言いますよね(笑)。それでも、坂東登女子は貞明皇后とは身分が違うけれど、自分たちが同じ女性で、大正天皇のお側にいる者として、気持ちの底にはシンパシーがあるわけです。貞明皇后が、焼け火箸(!)で、女官をいじめたというウワサまで広がると、それを坂東登女子は、率先して否定してまわっています。要約すれば「嫉妬しているときのあの方のお言葉はたしかにひどいけど、手を出すような方ではありません!」と。まぁ、そういう言い方ですが(笑)、貞明皇后のことは本質的にすごい方だと尊敬していますから。
貞明皇后も坂東登女子には本能的に激しく嫉妬してしまうけれど、本心では彼女のことは信頼できると思っているから、嫉妬して怒った直後でも、皇后の御用を勤めるときの坂東登女子には「まぁ本当に、なめるようにやさしいおことば下さる」とか。まぁ……、「なめるように」という表現に、毒を感じなくもないですが。
とはいえ「今恐ろしいことをおっしゃってならしゃった(貞明皇后の)おみ口で、又こんなにかばって頂いてもったいないと思って」しまう坂東登女子でした。
――皇后と女官もなかなか濃い関係なんですね。
堀江 いかにも「女の園」って感じがしますよね。大正天皇のご病気が重くなられ、言語障害も進み、最終的には「あっ」という、溜息のような声ひとつでも病床の天皇が何を望んでおられるかを坂東登女子だけが察知できたとか。貞明皇后にとっては、まさに嫉妬してしまう場面でしょうが、それでも坂東登女子の手助けなしに、自分だけでは絶対に大正天皇のご意思はわからないので、彼女に恩義も感じておられたようです。
大正天皇が48歳の若さで崩御なさり、昭和天皇が即位してしばらくした後、坂東登女子は女官の職を辞したそうですが、昭和26年に貞明皇后が崩御なさるという時、夢で知らせのようなものを受け取ったそうです。やはり二人に特別な絆はあったのでしょうね……。