天皇が女官の顔を“ペチョペチョ”舐める!? 皇后さまの嫉妬爆発、「女の園」の日常風景【日本のアウト皇室史】
皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な天皇家のエピソードを教えてもらいます!
――前回から引き続き今回も、女官が経験した御内儀での出来事をまとめた“問題の書” 『椿の局の記』を読んでいくわけですが、この本の主人公ともいえる坂東登女子は、明治天皇から直々にスカウトを受け女官となったんですよね。さらに大正天皇からも寵愛を受けたそうですが、そうなると坂東登女子はほかの女官たちからは嫉妬されたりはしなかったのですか?
堀江宏樹(以下、堀江) 皇后さまはともかく、ほかの女官たちから嫉妬されたとかいう記述は出てきませんねぇ。興味深いのは、父親から受けた厳しい「しつけ」の甲斐あって、「女の園」宮中に上がっても先輩女官から嫌われたり、いじめられたりすることがなく、無事だったそうです。
そのしつけ内容というのが凄まじいんですよ。小学校に上がる前の幼い女の子の手が、真冬にしもやけで、原文によると「ぶくぶくにはれて」もなお、玄関をぬれ雑巾で拭く日々の掃除はやめてはいけないし、誰かに代わってもらうこともできない。そもそも掃除ができなければ、学校にも行かせてもらえなかったのだそうです。
「どんなことで女は不幸せになるかもわからんから、それに耐えられるように、精神を養わなければいかん」と父親には言われたそうです……。父母に逆らうことは絶対厳禁で、叱られたときに言ってよいのは「恐れ入ります」の一言だけ。宮中で女官の先輩から注意されたときも、「はいっ。恐れ入ります。気をつけます」と言うだけで何事もこらえつづけたところ、「本当にすなおなお子さんやな」と好評だったとか。
――皇室とも関係の深いお家柄のお姫様なのに……。
堀江 そういう女性ほど世間的には「お姫様」でも、実際は「家の奴隷」として生きざるを得ないわけです。少なくとも当時は。常に高い身分にふさわしい品位が必要とされる世界なのですね。坂東登女子が実際に経験したことですが、肺炎で入院していても、身じろぎひとつせず、高熱が出ても唸らないように静かにしているとか。それを上流の女性の証しである「行儀の良さ」だと考え、死ぬ気で実行しているのです。