「胎内記憶」池川明医師は、虐待の専門家をあざ笑う――「頼ってもムダ」発言の恥ずかしさ
さて、何度聞き直してもさっぱりわからないのが、「胎内記憶は虐待肯定ではない」という主張で池川医師が出した、二つのたとえです。
「山登りで死ぬ人がいるのに、『山登るなよ』って言うのが普通だとしたら、山に登る人を禁止にすればいいじゃないですか? でもみんな登るじゃないですか、許可とかもらって。あれを“遭難推進”って言うんでしょうかね?」
「人の死につながる」という共通点から例に挙げたのでしょうが、虐待は「他人から受ける理不尽な暴力」であり、自ら進んで行う登山と並べて考えるのは、理屈が通っていません。そして、もう一つ意味のわからないたとえがこちら。
「犯罪を犯す人に、『いや~あなたたち、こんな環境だったら(犯罪をしても)しょうがないよね』って言ったら、“犯罪推進”になる。そういう理論ですよ」
(以上、FOTTO TV「(6)Wezzy 記事の「虐待肯定」は、論理飛躍?」より)
はっきり言っておきたいのは、虐待は「しょうがない」では済まないということです。理不尽な暴力を受けている環境まで自分が「選んで生まれてきた」と捉えさせ、「しょうがない」と諦めさせるのなら、ある種の“肯定”にはなりませんか? 「虐待をする親を選ぶ子がいる」という説は、「自ら選んだのだから、暴力を受けてもしょうがない」という考えと地続きだと思うのですが。
動画の中で、池川医師の発言にはいくつも矛盾があり、全体的に“その場しのぎ”な印象でした。「生まれた意味を知り、愛に気づけば虐待しなくなる」といった趣旨のこともおっしゃっていましたが、せっかく12本もの動画で“弁明”したのに、「胎内記憶」の有用性アピールに固執するあまり、虐待の現状や、問題の深刻さを全く理解していないことが浮き彫りになっただけでした。
池川医師は12本目の動画にて、「『こうやってやればいいんだ』って押しつける。実はこれが虐待を増やしてるんですよ」と批判しています。こうした言葉の背景には、一般的な虐待防止対策などに対する、池川医師の不満があるのかもしれません。しかし、池川医師が「押しつけ」だと感じることがあったとしても、幼い命を救うための具体的な対策を何よりも優先するべきです。自身の“思想”を広めるのは、せめてそのあとではないでしょうか。
むしろ、産婦人科医という立場がある池川医師の主張こそ、妄信的な信者を生んで「『胎内記憶』を信じれば虐待が止まる」と、明確な根拠がないことを押しつけそうな気がします。ネット上にはびこる、一般には受け入れがたいスピリチュアル理論。それらはまるで「善意」のように広められるため、“感染力”が強くて始末が悪いのです。
※厚生労働省は「児童虐待防止対策」の一つとして、児童虐待が疑われる子どもを発見した際や、出産や子育てに関する質問等を受け付ける専用ダイヤル「189(いちはやく)」を設けています。電話連絡は無料、匿名の相談も可能で、地域の児童相談所へつながります。また、各市町村や児童相談所には相談窓口もあります。詳細は、下記のリンクをご覧ください。