中学受験終了後に「死にたい」と葛藤――滑り止め不合格で、本命校を「受けさせなかった」母の自責
つまり、こういうことだ。本命校だったA中学(偏差値64)の受験日は3日だけ。模試でのA中学への合格確率は40%くらいで、過去問10年分での勝率は五分五分だったという。一方で、B中学の合格確率は80%を超えており、過去問の感触もかなり良かったのだそうだ。そこで、麻友さんは、「早いうちにB中学から合格をもらい、さらにB中学より偏差値が低いC中学、D中学にも余裕で合格し、弾みをつけて、3日の本命A中学に挑む」というスケジュールを組んだという。
ところが、その歯車は、1日午後に受けたC中学の当日発表から狂い出す。まさかの不合格を抱えたまま、2日D中学を受験した後に、1日午前に受けたB中学の不合格を知り、さらに当日発表のD中学不合格が判明した。
「1日からの2日間で、塾から太鼓判を押されていた学校に続けて3校落ちたんです……。その翌日の3日は本命のA中学なのに、純は泣き続けていて、とても受けられるような状態には思えませんでした」
塾も安全策を考えて、3日は「B中学2回目受験」を強く推してきたという。迷いに迷ったそうだが、やはり、ここは塾の進言を聞くことにして、A中学受験をやめ、再びのB中学に挑むも、結果は不合格。
「一番、きつかったのは3日の夜に純が『もう、どこも受かる気がしない』と言って、ご飯も食べずに寝たことです……。あれだけA中学を目指して頑張ってきたんですから、結果はダメでもA中学を受けさせるのが親の務めだったのではないか? って……。私が上手に誘導できなかったばかりに、後悔しか残らない受験になってしまいました。もう純には合わせる顔がありません」
合格切符というものは、これほど手にすることができないものか、と嘆くほどの受験になったが、純君は結果、6日のF中学に合格。麻友さんは手で涙を拭いながら、こう漏らした。
「私は言ったんです。『F中学、合格おめでとう!』って。でも、純はまったく喜んでいなくて、私としても1回も行ったこともない学校だったので、正直、まったくうれしくなかった。今も『ああ、ここなのか……。頑張った結果がここなのか……』って思いしかなくて、もう、いっそ死んでしまいたいって思うんです」
純君は「F中学には行かない。公立中学にも行かない」と言って、塞ぎ込んでいるとのことだった。目の前で「死にたい」と繰り返す麻友さんに、筆者はこんな助言をした。
「死ぬのはいつでもできるから、死ぬ前にF中学に行って、先生を呼び出して、私の伝言を渡してくれないか?」
後日、麻友さんは、その走り書きを持ってF中学に行ってくれたみたいだ。その後、純君はF中学に入学した。