難解といわれる韓国映画『哭声/コクソン』、國村隼が背負った“韓国における日本”を軸に物語を読み解く
近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。
『哭声/コクソン』
ポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』がアカデミー賞を席巻したことで、世界的にも改めて見直されている韓国映画。少しでも韓国映画に興味を持った人が早い段階で出会うであろう作品が“問題作”『哭声/コクソン』(ナ・ホンジン監督、2016)だ。日本でも人気が高く、「おすすめの韓国映画」「見るべき韓国映画」といった類いのランキングには必ず入ってくる作品なのだ。
同作は、シャーマニズムやキリスト教などの宗教的世界観をベースに、ある村で起こる不可解な事件に住人たちが惑わされる物語。韓国映画には珍しいオカルト映画だ。美しくも不気味な映像、予断を許さないスリリングな展開で最後まで目を離せないのは事実だが、釈然としない結末に見終えてからも悶々と考え続けてしまう。実際韓国のネット上でも、公開と同時にキャラクターや結末の解釈をめぐって議論が絶えなかった。そうした反響や日本のベテラン俳優・國村隼の怪演も手伝ってか、観客動員680万人を超える大ヒットを記録した。
ちなみにタイトルの「哭声」は「泣き叫ぶ声」という意味だが、映画の舞台となり、撮影も行われた村「谷城」もまったく同じ発音・表記で「곡성<コクソン>」という。実は、撮影終了後、「悪霊の村という悪いイメージがつく」として村人たちが猛反発、上映反対の動きまで見せたため、制作会社が漢字「哭声」の併記を約束してようやく騒ぎが収まったという。ところがいざ公開されてみると、映画は予想以上に大ヒット。ロケ地を一目見ようと村を訪れる観光客が急増したため、住民たちは大喜び、ガイドをしたり便宜を図ったりと忙しかったようだ。
ナ・ホンジン監督は、本作をさまざまな解釈ができる「開かれた結末」にしたと明かし、インタビューで結末に話が及ぶと「みなさんの解釈は、どれもすべて正解です」と答えている。それゆえに賛否が真っ二つに分かれているともいえよう。冒頭で述べたように、結末の解釈は私にとっても謎のままだが、今回は作品全体をどう読み解くのかをメインに考えていきたい。
【物語】
(※この先、作品ネタバレに関する記述があります)
山間部に位置する村「谷城<コクソン>」で惨殺事件が相次ぎ、村人たちは恐怖に包まれる。警察は毒キノコにより幻覚を起こした者による殺人事件と判断するが、犯人たちは次々と不可解な死を遂げる。次第に、最近山に住み着いた日本人(國村、以下「よそ者」)の仕業ではないかというウワサが広まっていく。最初こそ話半分で聞いていた警察官のジョング(クァク・ドウォン)だが、現場を目撃したという神出鬼没な女ムミョン(チョン・ウヒ)の話を聞いてから信じ始める。