母の死でわかった“一族の支配者”――「ママがいなくなったんだから……」優しい伯母の正体
“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)
そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。
「ヨロヨロ・ドタリ」期の親を持ち、介護に直面している子ども、特に娘たちは、「ヨロヨロになって子どもの世話になる前に、さっさとこの世を去りたい」と口を揃える。「ただ、親を置いて先には逝けない」というのも、また共通した思いだ。それはつまり都合の良い「ピンピンコロリ」幻想でもある。それができるなら誰も苦労しない。ヨロヨロの親たちも、過去そう思って生きてきたはずなのだから。
女が強い家系
浅倉貴代さん(仮名・37)は、5年前に母親を亡くした。母親はまだ50代。体調が悪くなり、検査をしたときにはがんが広がり、すでに手術もできない状態だった。たった半年の闘病であっけなく逝ってしまった。
浅倉さんはもちろん、祖母や母の姉である伯母の悲しみは大きかった。というのも、浅倉さん一族は、自他ともに認める「女が強い家系」。祖母は、早くに亡くなった祖父に代わり事業を営んでいたし、その祖母と伯母一家は同居していた。そして、その離れに浅倉さん家族が住んでいて、伯父や浅倉さんの父親の影は薄かったという。
「祖母は、婿である伯父に事業を譲りましたが、自由になるお金も持っていたし、ずっと存在感は大きかった。私たち家族が出かけるときには、いつも祖母や伯母、従姉たちと一緒でした。夏休みや冬休みになると祖母が持っている別荘に滞在したり、年に1回は必ず一族の女たち全員でハワイに行って楽しんでいました」
浅倉さんに女きょうだいはいないが、従姉は皆女。浅倉さんが夫と結婚したのも、伯母の紹介だった。だから夫との結婚後も、生活スタイルはそれまでとほとんど変わらなかった。
浅倉さんが、東北にある夫の実家に行くのは年に1回あるかないか。娘2人が生まれると、移動が大変だという理由でますます足が遠のいた。浅倉さんが友人と会うときには、実家に娘を預けるか、母親が浅倉さん宅に泊まり込んで娘たちの世話をしてくれる。夫はおとなしい人だったので、実家べったりの浅倉さんに対して、意見をすることもなかった。
「夫は仕事も忙しかったので、私が実家の母に子育てを手伝ってもらえてラッキーくらいにしか考えていなかったんだと思います。お正月やお盆などでも夫の実家に帰らずに、祖母の別荘に滞在して、夫が仕事に戻ったあとも母と娘、祖母、伯母、従姉たちと女ばかりで楽しんでいました」