『氷室冴子とその時代』レビュー:誰より少女の自立を願っていたのに、少女小説家の“レッテル”に悩んだ作家の苦悩
しかし、氷室らコバルト文庫の人気作家たちが爆発的な売れ行きを見せたことで、少女小説は“金脈”として多方面から発見されてしまう。他社の参入もあり、次第に「少女小説」から氷室らの意思や文脈は剥ぎ取られ、実際は多様なジャンルを包括するものであったが、特に外野からは「少女の一人称モノローグ体」「共感できるヒロイン造形」「マンガチックな展開」といったマニュアル化されたジャンルとして捉えられることが多くなる。
量産された「少女小説」ブームの波に「チョコレート売ってるんじゃないんだから」と違和感を唱えていた氷室も、良くも悪くもその波に巻き込まれていく。時に評論家から「小説ではない」と軽んじられ、取材記者から「処女じゃないと書けないんでしょ」などと暴言を吐かれるなか、一度は自ら冠した「少女小説家」という肩書から、少しずつ距離を置くようになっていく経緯が、複数の資料をもとに解説される。
その後の氷室は、少年を主人公とした小説や、一般向けのエッセイ・小説、家庭小説ジャンルのプロデュースなど、さまざまな仕事を手掛けている。ひたすら結婚を求める母との葛藤をつづった一般向けのエッセイや、アニメ化された『海がきこえる』で少女以外の読者層を獲得し、“自分の一番書きたいもの”と語った一切のコメディ要素が排された古代ファンタジー『銀の海 金の大地』を生み出す。「少女向けのコメディ作家」というポジションでは語りきれない、常に新たな表現を求めて作風や文体を変えた作家であったといえるが、休筆期間を経て新作発表直後にがんを告知され、08年51歳で早逝する。本書では新作が生まれなかった期間、氷室の死の前後も含め取材し、氷室の人柄がしのばれるエピソードも丹念に伝えている。
氷室と同じ生年の漫画家・作家――柴門ふみ、高橋留美子、森博嗣らが、現在も一線で活躍していることを思えば、氷室氏の早逝は惜しまれるものだ。本書では、『名探偵コナン』(小学館)シリーズ中のある連作が氷室作品へのオマージュになっていることをはじめ、ライトノベル『涼宮ハルヒ』シリーズ(KADOKAWA)や、小説家・柚木麻子の作品に登場する氷室作品、同じく作家の上遠野浩平、奈須きのこらが影響を受けた人として氷室を挙げたテキストを追うことで、彼女の作品やスタイルがどのように現代のエンタメ作品に引き継がれたか、丁寧に考察している。
しかし、本書において90年代以降に生まれた世代と氷室の「断絶」が指摘されているように、同時期に同ジャンルで活躍した他の作家と比べて、現代で氷室作品がしっかり読み継がれているとは言い難い。熟練したストーリー展開、歴史ものにおいては綿密な時代考証に裏打ちされた設定の下で描かれた彼女の作品群は、現代の読者にも十分エンタテインメント作品として強度を持つものだ。さらに、氷室が初期から一貫して描き続ける、男性や大人に媚びず、環境や思想の違う友人と連携して、それぞれのスタイルで世界の困難に立ち向かっていく少女像は、既に成人した“元少女”をもまだまだ魅了し、勇気づけてくれる。同書と共に、氷室の作品群が改めて評価され、一人でも多くの人々の元に届くことを祈りたい。