皇室の“知られざる”お正月事情――天皇陛下は大忙しでも女官は「朝から日本酒」!?【日本のアウト皇室史】
――明治時代のお正月、天皇皇后両陛下は、伝統的な装束姿だったのでしょうか?
堀江 例の「四方拝」の儀式の時、天皇陛下は天皇しか着ることのできない「黄櫨染(こうろぜん)」という色の束帯をお召しだそうです。しかし、臣下の前に姿を現すとなると、最初から両陛下ともに“洋装”なんですね。「文明開化」した明治時代、古くから伝わる伝統的な朝廷装束について実は否定的。同時代にヨーロッパで使用されていた宮廷服の方が、重視されていたことは確かなんです。
天皇陛下は記録によれば「大元帥の大礼服」。わかりやすくいえば、明治天皇の御真影として知られている、あの絵のようなお姿だったそうです。ちなみに大礼服とは、最高の正装という意味。皇后陛下も「マント・ド・クール」と呼ばれる、ドレスを大礼服として着ておられました。現代の女性皇族の最高の正装は「ローブ・デコルテ」ですが、「マント・ド・クール」は、何メートルにも及ぶ長い裾を引きずった、さらにゴージャスなデザインのドレスですね。
こちらの著書『明治150年記念 華ひらく皇室文化 −明治宮廷を彩る技と美−』(青幻舎)の表紙中央のドレスが、明治天皇の皇后・昭憲皇后が1912年(明治45年)の新年に着用なさったと伝えられる「マント・ド・クール」です。
当時、日本の刺繍は世界最高峰の技術として知られており、このドレスにも菊の花々の刺繍がふんだんにあしらわれています。この本には「糸菊」のデザインだと解説されていますが、本当は「奥州菊」と言うべきですね。江戸時代に上方(関西)で作られ、東北地方で発達した品種の菊です。いわば和洋折衷的なデザインのドレスなんですが、昭憲皇后が当時の日本と世界を結ぶ存在だったことを感じられます。また、ダイアモンドのついたティアラやネックレス、腕輪などをキラキラと輝かせておられる皇后のお姿は、女官たちの心をそれはときめかせました。