『スカーレット』がほかの朝ドラと一線を画すワケ――父・常治と娘・喜美子の関係性の妙
また、登場人物の「過去」と「行動原理」に矛盾がないのも、登場人物にリアルさを与えている。常治は、大正の時代に生まれ、早くに両親を亡くした過去を持つ。学校もろくに行けずに丁稚奉公で叩き上げ、独立して商売を興すもうまくいかず、愛する家族を残して徴兵された。2人の兄は戦死し、復員しても仕事に恵まれず、借金ばかりが膨らんだ。生まれ育った境遇に、戦争が追い打ちをかけた。登場人物それぞれに残る「戦争の爪痕」をきっちりと描くこのドラマの中でも、ことさら戦争に翻弄された人生を送ったのが常治だ。
そんな過去を持つ常治は、「氏素性は争われぬ」の価値観が色濃い戦前派のいちモデルであり、一方の喜美子は「奮闘努力さえすれば望む道に進める」戦後派のいちモデルだ。この父娘の世代間ギャップと衝突、そして「それぞれの言い分」は、昭和30年代に限ったことではなく、現代に連綿と受け継がれる光景ではないか。
広い世界を知らず、「金なし・学なし・教養なし」が生む負の連鎖から抜け出せない父と、外に出て人生の師と出会い世界が開けていく娘との対比が痛烈だった。信楽に戻り、絵付けの師匠・深野心仙(イッセー尾形)に心酔する喜美子に、常治が放った言葉が今も重石のようにずしりと響く。
「世間のどんだけの人間がやりたいことやってると思っとんねん。好きなこと追っかけて、それで食える人間がどんだけおる思とんねん」
夢を叶えられないどころか、夢を持つことさえできない側の人間の悲哀が、喜美子と、そして視聴者にこれでもかと迫ってくる。だからこそ、その一握りの「好きなこと追っかけ」る人になれた喜美子は、これから命がけで陶芸と向き合っていかねばならないのだろう。
北村一輝の魂の芝居が胸を貫く。『土曜スタジオパーク』(NHK)に出演した際、常治役への取り組みについて聞かれた彼は、「朝ドラは毎日見られるもの。だから嘘やごまかしはすぐバレてしまう」と、その覚悟を語った。スタッフの気概と役者の本気が呼応しあって作りあげた唯一無二の「ヒロインの父」が、そして戦後日本のどこかにいたであろう「市井のお父ちゃん」が、確かに『スカーレット』の世界で「生きていた」。常治が事切れる寸前のシーンの臨場感と壮絶さは、朝ドラの新たな地平が切り開かれた瞬間であった。