「宮内庁御用達」は怪しい制度!? “皇室ブランド”にあやかるアウトな商売とは【日本のアウト皇室史】
――明治維新の後は、武士よりも天皇家がカリスマ性を持ったから、「皇室御用達」の看板を求める業者が増えたというわけですね。御用達になるには、どういう条件が必要だったのでしょうか?
堀江 日本で御用達という、ある種の“ブランド制度”の開始は1891(明治24)年。御用達になることは皇室が認めたという意味になり、産業奨励政策の1つだったようです。開始当時はまだ数少なく、日本橋の「魚屋荒木平八」、それからびっくりしちゃうんですが、イギリス・ロンドンのビスケット会社「トントリーパーマ」なる業者の2つが、皇室の御用達に認定されています。残念ながら、この2つの業者は現存しないようですが。
制度が始まった当初は、宮内庁のお役人から「『御用達』の店になりなさい」という命令が下れば、「御用達店」になれたようです。が、時がたつにつれ、厳しい条件が課されるようになりました。お店の経営者一家に対して、親子三代にわたる家庭環境と思想歴、病歴などのチェックをするんですよ。製造担当者や職人にも、身体検査、検便、それから外出制限、禁酒、禁欲(!)なども課されるようになりました。それでも御用達制度の最盛期は1951(昭和26)年。この時は85軒にまで拡大していたそうです。そして54年、御用達制度は突然の廃止を迎えたという。
――最盛期が51年(昭和26年)。制度廃止が54年(昭和29年)だから、そのわずか3年間ですよね。何があったのでしょうか?
堀江 具体的な理由は公表されていませんが、日本中の業者から「ウチも御用達業者にしてください」という売り込みが激しくなってしまい、皇室ひいては宮内庁が困ったからではないか、と。この頃は、皇室の人気が大衆レベルで大いに盛り返しつつあった時代です。51年といえば、現・上皇后の美智子さまと現・上皇さまとの結婚が内々に決定した頃でもあります。また、上皇さまの妹君・清宮貴子内親王(当時)は、いわゆるファッションリーダーとして日本中から人気がありましたね。
――皇室の人気や権威にあやかりたい業者は、現在でもたくさんいるのですね。
堀江 そうですねぇ。御用達制度廃止前から取引が続いている業者“のみ”が、いわゆる宮内庁御用達を現在でも名乗っても良いと言われます。しかし、そういう業者ほどホームページの片隅に控えめに「皇室にも納品しております」的な情報を載せているだけなんですよね~。
例えば江戸時代になる前から、御所にお菓子を納め、天皇家に付き従うような形で東京にやってきた「とらや」は、ホームページに「後陽成天皇の御在位中(1586〜1611)より、御所の御用を勤めています」とさらっと書いているだけ。
しかし、庶民たちが雲の上の人々である皇室の方々ご使用の品に興味津々だったのは今も昔も同じで、雑誌やテレビなどでもたびたび取り上げられました。例えば、今は廃刊になった「angle」(主婦と生活社)というタウン情報誌。1980年10月号の「天皇家の衣食住を支える人、店、品 宮内庁御用達型録(カタログ)」という記事が面白いので、見てみましょうかね。
――この前即位なさった、新天皇陛下が成人の時に着用した燕尾服も作った「金洋服店(きん ようふくてん)」が掲載されていますね。現在も高級テーラードのお店として渋谷の広尾で営業しているみたいです。
堀江 もともと華族や皇族たちの口コミが皇室に流れ込んだ形で、段階的に御用達ブランドとなったそうですね。73年8月1日号の「女性セブン」(小学館)によると、現・上皇さまのスーツは「金洋服店」ですが、ワイシャツは本駒込にある「加古シャツ店」で「全て」あつらえておられるそうで、シャツには「P.A」のイニシャルが刺繍されたとか。プリンス・アキヒトということですね。「加古シャツ店」は現在も営業なさっているようですが、あくまで地元密着のお店ということでしょうか。ホームページなどは設けておらず、詳しいことはわかりませんでした。
――次回は、12月28日更新予定。女性皇族のご用達ブランドについては、また次回お話したいと思います。