天皇の“愛人”だった女官たち……知られざる皇室ロマンスと女の牢獄【日本のアウト皇室史】
――ということは明治天皇もおモテになったとか!? ますます御所内がドラマ『大奥』みたいになってしまいそう……。
堀江 明治天皇は長身でカッコよかったみたいですよ。あと名実ともに肉食天皇だった。675年、天武天皇が最初の「肉食禁止令」を出し、牛や豚、鶏などの肉を食べることが残虐だとして禁止させています。食べてもいいケモノの肉もあったりするし、徹底されていなかったようですが、約1200年間、天皇の肉食はおおむね禁止されていました。
それが解禁になったのが、明治天皇の時代。1872年のことです。お肉がすごくお好きだったといい、そしてというか、かなり“精力的”でもあった、とか(笑)。天皇と肉食についての話は、また別の機会に……。
――高身長といっても、どれくらいあったのですか?
堀江 数字的には170センチ位だといわれていますが、当時の男性の平均身長は160センチなかったようですから、高い方ですね。幕末の有名人の中では、長身だとされる坂本龍馬も実際はそれくらいだったと言われます。明治期の日本で、明治天皇のお姿をお目にかかることができる人はかなり限定されていました。一方で、日本滞在中の外国人たちの前には、わりと気軽に姿を見せたようですが。
例えばアメリカから来た外国人教師の娘、クララ・ホイットニーが書いた日記には、天皇の姿を間近に見たという経験が何回か登場し、彼女は明治天皇を「誰よりも背が高くていらっしゃる」などと書かれています。ちなみに、クララは勝海舟の息子の妻になりました。
――イケメン天皇に女たちが翻弄されるって、まさにフジテレビの『大奥』めいた御所の世界ですね。でも、御所は昭和天皇のお声掛かりによって、改革することになったんですよね?
堀江 昭和天皇の「後宮改革」と言われるもので、戦前と戦後の2回行われています。大正天皇は、皇后にぞっこんでしたし、昭和天皇になる皇子などお子様は全員、皇后がお産みになりました。大正天皇は実母が本当に母だと思っていた昭憲皇太后ではなかったと知って、大ショックだったようです。
“公式”には愛人を持たなかった大正天皇時代の後宮は、一見“クリーン”でしたが、逆に闇深いところでした。女官の一部には、せっかく縁談を断ってまで未婚、そして処女のまま御所に上がったというのに、天皇からのお声掛けもないまま朽ち果てていく人生に嫌気がさした人もいます。そのような女官と、宮中の侍従など男性職員が恋仲になってしまうケースもあり、密かに問題になっていたのです。あと、実際には大正天皇にも、女官との恋のウワサはあったみたいですが、その話は長くなるのでまた別の機会にお話します。
それらを熟知した昭和天皇は即位後、「後宮改革」を断行。具体的には、(特に上級)女官が天皇の愛人候補生として、御所に上がるという制度自体をなくしてしまったのでした。ほかには、前回出てきた源氏名とか、そもそも典侍などといった女官のクラス分けも廃止することに。
――大正時代まで、「女官」には天皇の“愛人”もしくはその候補生という、ウラの意味が期待されていたんですよね?
堀江 ぶっちゃけ言うと、そうです。だから彼女たちは未婚=処女のままで御所に上がるわけです。そして、実家にもほとんど戻れず、御所内で人生を過ごしていたのですが、昭和天皇の「後宮改革」以来、女官といわれる人々の大半が通勤制に変更されました。
ようするに、女官から“愛人”のカラーはなくなり、宮内庁の“女性職員”に生まれ変わったということ。また、女官の人数も、明治期の御所では総数300人以上いたものの、かなり減少したし、御所の上級女官の大半が未亡人……つまり、人生経験が豊富な、年長の女性こそが女官には望ましいというふうになったというのも「時代だなぁ」と言わざるを得ません。
ちなみに、かつては女性皇族付きの女官に指名されると、なかなか断れなかったみたいです。しかし、現・上皇后様こと、美智子様の皇后時代には「畏れ多い」などと言いながらも、激務だというウワサが世間に漏れているため、各方面から辞退者が相次ぎ、なかなか決まらない時期もあったようですよ。これも「時代だなぁ」といわざるを得ませんね(笑)。
――次回は、12月14日更新予定です!
堀江宏樹(ほりえ・ひろき)
1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。2019年7月1日、新刊『愛と欲望の世界史』が発売。好評既刊に『本当は怖い世界史 戦慄篇』『本当は怖い日本史』(いずれも三笠書房・王様文庫)など。Twitter/公式ブログ「橙通信」