コラム
【連載】堀江宏樹に聞く! 日本の“アウト”皇室史!!

天皇の“愛人”だった女官たち……知られざる皇室ロマンスと女の牢獄【日本のアウト皇室史】

2019/11/30 17:00
堀江宏樹

柳原白蓮の生涯 愛に生きた歌人』(河出書房新社)

――「小倉の局」とはなんでしょうか?

堀江 都市伝説ですね。とある天皇に愛された、小倉家出身の女官というくらいしか、わかりません。彼女は別の女官と同時期に妊娠し、天皇から「一刻でも早く皇子を生んだ方を皇太子にする」と言われていました。しかし、その争いに半日の差で負けてしまい、その後、あれこれあって、「天皇家を七代にわたって呪ってやる~。世継ぎの皇子一人を残し、あとの子の生命は全部いただく~」などと言って、(皇位を狙えないように)すでに出家させられていた息子と共に自害したそうな。
 
 「小倉の局」の呪いを恐れる宮中関係者は多くいて、明治初期、和宮 の母君だった中山慶子という女官が、正式に神社でお祀いをしています。和宮は明治天皇の叔母にあたり、十四代将軍・徳川家茂と政略結婚した方ですね。悲劇の皇女といわれます。 しかし、御所が京都から東京に移動した後も、例の「小倉の局」がらみの呪いというか、呪いの伝説は明治時代の御所でも現役で語られ続けました。それはある意味、御所で暮らす女官たちの社会が、いかに閉鎖的だったかという表れかもしれません。

――この頃、ほかにもたくさんの皇子・皇女が亡くなっていたそうですね。

堀江 そう。これが明治初期の話です。西洋文明に触れ、どんどん近代化していく世間と、明治維新以前と変わらない閉鎖的な宮中の世界のギャップを感じてしまいます。

 後の大正天皇となる皇子を柳原愛子が生んだのが、明治12年のこと。彼女は「呪い」のプレッシャーを打ち破ったのでした。ま、「呪い」っていうけど、実質は呪いにかこつけた「人災」。廊下に油を垂らして、妊娠中のライバル女官が滑って流産するように画策したとか、呪いの人形が御所内の大きな木に打ち付けてあるとか、なかなか香ばしいんですね。

――東京・世田谷にある大宅壮一文庫で見つけてきた、1968年6月10日号の『週刊サンケイ』(産業経済新聞社)に、「豆を入れた麻袋を水にひたして放置、豆がはちきれて潰れそうになる」のを、「お腹の子が無事に外には出られなくするためのおまじない」として黒魔術的に行っている女官がいたと書いてあります。あまりにも、ホラーな話に震えてしまいそう……。

堀江 柳原愛子も「私は顔では美しく笑っていても、心はいつでも泣いている」的なことを白蓮相手に言ったそうです。ただ、自分が苦労したからなのか、周りの人には優しく接したので、身分を超えていろいろな人たちから慕われました。身分の低い女官たちは、上級女官の前で敬服したり、そもそも視界に入らないようにものかげに隠れたり、いろいろしなくてはいけないのですが、柳原愛子は「おかまいなく、おかまいなく」といってフレンドリーに接したそうな。

 そんな彼女も、明治天皇が崩御なさってからは東京・四谷信濃町に一軒家を構えて移り住んだそうです。ドラマなどでは「側室」でも、男子を生むと威張っていますが、実際はそういうわけにはいきません。使用人は使用人、実質的には大正天皇の実母でも、身分は皇后陛下直属の女官、つまり使用人にすぎないのです。だから明治天皇が崩御なさると、皇太后様の手前、肩身が狭かったのだと思いますね。ただ、御所の外に出た後も、展覧会で女性のヌード画を見た際、「おいど(=御所言葉で、おしりの意味)を出して、まぁ~」などと言ったそうです。

――西洋画ですかね。御所の中では、見る機会が少なかったのでしょうか?

堀江 おそらく。一生涯を女官で過ごしていたのだもの、世間の基準からはズレてしまっていても当然ですわな。フジテレビ系で放送されていた、ドラマシリーズ『大奥』以上に引いちゃうような“女の牢獄”っぽい世界でしたから。

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