木下優樹菜、“タピオカ騒動”の対応はミスだらけ!? “謝罪の専門家”が「全然だめ」と一刀両断!
11月18日、木下優樹菜の芸能活動自粛が所属事務所の公式サイト上で発表された。10月上旬に発覚した“タピオカ騒動”により、木下へのバッシングが鳴りやまない状況が続いていたため、活動自粛に至った流れだが、一部ネット上では「もっと早く対応できたのでは」「自粛ではなく引退でいい」など、容赦ない批判の言葉が飛び交っている。
この“タピオカ騒動”は、木下の姉とその姉が勤務していたタピオカドリンク店の間で起こったトラブルが発端だった。木下は今年7月、自身のインスタグラムに、姉がタピオカドリンク店をオープンさせたと思える宣伝文を投稿したが、10月6日、突如「お姉ちゃんは、一緒にやっていた方に、裏切りのような行動などをされてしまい」などと、姉とタピオカドリンク店店長のトラブルを告発。しかし、翌7日、Twitterのある匿名アカウントにより、木下が店長に送ったとみられるSNSのダイレクトメッセージ(DM)が公開された。そこには「こっちも事務所総出でやりますね」「週刊誌に姉がこういうめにあったって言えるからさ」など、“恫喝”めいた言葉が並んでおり、ネットは大炎上に。これを受け、木下は同9日、インスタ上で「この度は、私の自己中心的な発言により、相手の方、相手の関係者の方々に大変不快な思いをさせてしまい、誠に申し訳ございませんでした」と謝罪したが、炎上が収まることはなかった。
こうした状況を見るに、今回の木下サイドの対応は「悪手」と考えられるが、果たして危機管理のプロの目にはどう映ったのか――今回、各メディアで「謝罪の専門家」と呼ばれる、RMロンドンパートナーズ代表・増沢隆太氏に話を聞いた。
木下優樹菜、間違いの始まりは「DMで証拠を残した」こと
「そもそも人気スターが、ああいった品のないDMを出すこと自体、“全然だめ”なのですが……」
そう切り出した増沢氏は、一連の騒動における「木下サイドの間違い」そして「炎上が激化した要因」を次のように指摘する。まずは、炎上の直接的な原因となった“恫喝疑惑DM”についてだ。
「DMを送るというのは、つまり『証拠を残してしまうこと』であり、それが間違いの始まりでした。百歩譲って電話だったら、証拠として扱いづらかったのに、テキストとして残したのはまずかったですね。ビジネスの世界で文書というのは、特別な意味があり、証拠能力が高い。しかも木下さんは、普段使用している公式アカウントからDMを送っており、これでは“裁判で通用する証拠”にもなり得るものです。恐らくご本人は、そういったことをまったく理解していなかったのではないでしょうか」
確かに最近では、SNSのDMやLINEの流出が、芸能人のスキャンダルにつながるケースは少なくない。一般人の中にも、ほかの人に漏らされたくないことは、文面に残さず、直接会って話すという人がいるだけに、木下の行為は「芸能人としてあまりにも危機感がなさすぎた」と言えるだろうが、それ以前に、「事務所のリスク管理がまったくなっていないことこそ問題」と増沢氏。
「木下さんは、インスタのフォロワー数500万人以上という、絶大な影響力のあるインフルエンサーであり、また過去にインスタが炎上したこともあった。そんな彼女のインスタに、騒動の発端となった『姉とタピオカドリンク店のトラブル告発』が投稿されること自体、あり得ないことです。この文面を見る限り、事務所のチェックが一切ないまま、木下さんご本人が、身内から聞いた話を一方的に書いて投稿したのではないかと思いました」
続けて増沢氏は、爆発的な炎上を招いた原因は、DMを認めた上、一度インスタ上で謝罪したものの、その後“沈黙し続けたこと”だと考察する。
「事務所の力によってなのか、この騒動はテレビで取り上げられることがなかったため、世間の人たちは『このままうやむやにするつもりか』と思っていたのではないでしょうか。そんな中、木下さんがメインゲストとして久々にテレビ出演したのが、10月30日放送の『BACK TO SCHOOL!』(フジテレビ系)。同番組で、木下さんは高校生たちと学校生活を共に過ごし、最後に感謝の言葉を述べながら涙したわけですが、これによって、一気に炎上が激しくなったと考えられます。というのも、同番組で木下さんは、まるでヒロインのように、感動的かつ美しい自分を見せたことにより、世間の『あんなことをしたのに……』という反感を煽ってしまったのです」
その後、『FNS27時間テレビ』(同、11月2~3日)では、夫であるFUJIWARA・藤本敏史が、爆笑問題・太田光に騒動をいじられる一幕も。ネット社会の現代、「いくら事務所が情報を封鎖しようとしても、多くの人が木下さんの騒動を知っている状況にあった。だからこそ、太田さんがいじったのでしょう」という。こうして騒動勃発から1カ月以上たってから、活動自粛に至ったわけだが、これを増沢氏は「最悪の結果」と評した。