韓国映画『弁護人』、公開から6年後の今話題になる背景――「検察」という韓国社会の“怒り”の対象
<物語>
1980年の釜山、高卒の弁護士ソン・ウソク(ソン・ガンホ)は、金もうけのために税務関係の仕事ばかりを請け負い、周囲からは冷たい目で見られていた。ある日、かつて世話になった食堂の女将・スンエ(キム・ヨンエ)から、息子のジヌ(イム・シワン)がある事件に巻き込まれ、裁判を控えていると聞く。息子を助けてくれというスンエの頼みを断り切れず、一緒に拘置所へ面会に行ったウソクは、そこで拷問を受けて満身創痍になっているジヌの姿にショックを受け、事件の弁護を引き受けることにする。国家権力との壮絶な闘いを通して、俗物だったウソクは大きく変化を遂げていく。
細かい部分では設定やエピソードにフィクションを交えているが、大筋は盧元大統領の実話である。映画は87年の民主化運動での逮捕で終わっているため、国家との闘いから政治界に身を投じ大統領に上り詰める経緯は描かれていないが、俗物弁護士から人権弁護士への変化を通して、その後の政治家としてのイメージが確立されていくさまがよくわかる作品になっている。
ウソクが弁護を引き受ける事件とは「釜林(プリム)事件」(映画では釜読連<プドクリョン>事件と名を変えている)として知られる、韓国現代史上の重要な出来事を指している。81年、釜山で読書会に参加していた大学生や教師、会社員ら22名が、令状もないまま公安当局によって逮捕、拷問、起訴された。当時の軍事独裁政権は、国家保安法違反の名目で確たる理由もなく国民に次々と「アカ(=共産主義者)」のレッテルを貼り、不当な逮捕や暴力的な弾圧を繰り返しており、釜林事件でもその不当性は明らかだった。国家権力をかさに終始一方的に進められる裁判で、公安検事(国家保安法違反事件を担当する検事)を相手に次々と論破していくウソクの姿は、ソン・ガンホの熱演と相まって観客の涙を大いに誘い、この映画をきっかけに、2009年に自ら命を絶った盧元大統領の再評価が進んだ。だが、おそらく日本の観客にとって同作において印象的なのは、韓国社会に根深くはびこる「アカ」という存在ではないだろうか。
同じ民族同士が殺し合った朝鮮戦争以降、北朝鮮と対峙してきた韓国にとって最大の統治理念となった「反共産主義」(反共)だが、実際は権力に抗う者を弾圧するための道具として度々利用されてきた。とりわけ1960年代から90年代初めまで続いた長い軍事独裁政権下では、共産主義者はもとより、反独裁や民主化を叫ぶ学生や活動家たちを「アカ」に仕立て上げることで、拷問をはじめ情け容赦のない仕打ちが正当化されていた。反共のスローガンの下、時の独裁者たちは権力維持のために、何のためらいもなく彼らにとって都合の悪い存在にアカのレッテルを貼り、人間としての尊厳も権利も奪ってきた。
権力側によるこうした理不尽な仕打ちが、映画ではふんだんに描かれている。友人たちと読書会を開いただけで逮捕されたジヌは繰り返し拷問され、公安のチャ・ドンヨン警監(クァク・ドウォン)はなんとしてでもジヌを「アカ」に仕立てようと自白を強要する。拷問の恐怖と心身の疲労から、ジヌは反国家的行為を認め、自白してしまう。検察側はそれを証拠に裁判を進めようとするが、ウソクはやり口の強引さ、不当さを次々と暴いていく。
ジヌが持っていた本のイギリス人の原作者が、ソ連に滞在したことがあるというだけで「不穏書籍」と決めつける検察に対し、ウソクはイギリス外務省から原作者が「共産主義者ではない」ことを証明する文書を手に入れる。そして、同書がソウル大学の推薦図書だった事実を指摘し、ならば国家のエリートたちは皆アカではないかと言い放つ彼の姿に、観客は高揚感をかき立てられるのだが、国家権力はそう簡単に負けを認めはしない。それでも、7年後、人権弁護士としてますます勢いづくウソクの姿と、彼の想いが確実に根を張っている様子がラストでは確認できる。