虐待者の心理を理解する必要性について――『ザ・ノンフィクション』「目黒・結愛ちゃん虐待死事件」
10月27日に放送された『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)、「親になろうとしてごめんなさい~目黒・結愛ちゃん虐待死事件~」が大きな反響を呼んでいる。その番組内容について、都内の児童相談所に心理の専門家として19年間勤務し、『告発 児童相談所が子供を殺す』(文藝春秋)などの著書を刊行した山脇由貴子氏が考察する。
『ザ・ノンフィクション』で、東京・目黒で船戸結愛ちゃん(当時5歳)が虐待死した事件に関し、船戸雄大被告の友人や同級生、元上司や雄大被告が兄のように慕っていた知人らが、その人柄について語った。
結愛ちゃんの痛ましい死、そして反省文を覚えている方も多いと思う。5歳の女の子の書いた文章としてはあまりに切なかった。
「ほんとうにおなじことはしません ゆるして きのうぜんぜんできてなかったこと これまでまいにちやってきたことをなおす これまでどんだけあほみたいにあそんだか あそぶってあほみたいだから やめるから もうぜったいぜったいやらないからね ぜったいやくそくします」(反省文の一部)
私は児童相談所に勤務していた頃、同じように、親に書かされたであろう子どもの反省文をたくさん見てきた。子どもを虐待し、そして反省文を書かせる親は、自分が正しいことをしていると信じている。自分は子どものために、しつけのために正しいことをやっている。だから、自分の言うことを聞かない子どもが悪い。本当にそう思っているから、反省文を書かせるのだ。そして子どもの書いた反省文を、自分が虐待などしていない証拠として、自慢げに持って来る親もいた。
雄大被告も、自分のやっていることは正しいと信じていたのだろう。実際、番組内では紹介されなかったが、裁判の中で、結愛ちゃんを2度保護した香川県の児童相談所の職員は、雄大被告が「子育てに自信を持っていた」と証言した。雄大被告は、結愛ちゃんをここまで良くしたのは自分だ、と児童相談所職員に話していたのだ。自分のしていることが虐待だと気づかぬまま、結愛ちゃんのために、正しいことをしていると信じ続け、そして死に至らしめたのだ。
語られる人物像から見える「強い孤独感と承認欲求」
一方、友人や知人らが語る雄大被告の人柄から見えてくるのは、強い孤独感と承認欲求だ。
雄大被告は、仕事も真面目で、飲み会の幹事も積極的に引き受けていた、という。また、友人のやっている香川のキャバクラで人手が足りないと言われ、友人を助けるために北海道から香川へ転居している。品川のマンションに住んでいた時は、友人を招待することも頻繁だったようだ。
雄大被告は、独りでいることが耐え難かったのではないだろうか。バーに足を運んで、そこで知り合った人を兄のように慕っていた、という話もある。常に孤独を抱え、一緒にいてくれる人を求めていたのではないだろうか。そして、人から好かれるため、認められるためなら必死に努力した。ほかの人が嫌がる役割も引き受けた。仕事が真面目だったのも、認めてほしい気持ちが強かったからだろう。