『ザ・ノンフィクション』友人が語る船戸雄大被告の実像『親になろうとしてごめんなさい~目黒・結愛ちゃん虐待死事件~』
そして、雄大被告はおしゃべりだ。結愛ちゃんのことを友人たちや、バーの店員たちにも話している。真冬に結愛ちゃんを路上に放置し、二度も書類送検(不起訴)になっているにもかかわらず、そのことまで友人に話しているのだ。もちろん、凄惨な虐待の実態などは話さず、しつけの一環で家の外に出したら通報されてしまった、といった体だ。壮絶な虐待をしているなら、「家族のことに触れない」かと思ったら、むしろ父親である自分、血のつながらない子どもを育てる自分を“誇示”するかのように積極的に話しているのだ。
この行動には覚えがあった。以前、モラハラ夫として妻に去られた経験から回復し、現在は日本家族再生センターでカウンセラーとして被害者、加害者双方の支援活動を行い『DVはなおる 続』(ジャパンマシニスト社・味沢道明著)の共著者、中村カズノリ氏に取材をしたときのことだ。
『DVはなおる 続』に掲載されている、男性の加害者側の手記を読むと、総じて結婚願望も家庭を持つことへの願望も強く、「家庭」や「家長である自分」への思い入れが強すぎるように感じた。こんな書き方は性差別的だが、男性の割に、家庭のことばかり考えているなと思ってしまった。大人であれば「家庭の構成員である自分」以外にも「働く自分」「●●が好きな自分」「友達としての自分」「地域社会の自分」など、アイデンティティはいくつも存在するはずだが、加害当事者たちは自分のすべてを「家庭の構成員である自分」に振り切りすぎている感じがした。
しかし、本人の強い思い入れとは裏腹に、家庭生活は自身のDVやモラハラや虐待で崩壊してしまっている。加害当事者はなぜそこまで皆、判を押したように家庭に強くこだわりすぎてしまうのか中村氏に聞いてみたところ、「それも結局『家庭を作って認められたい』ということなのでしょう」との返答だった。
雄大被告も「家庭へのこだわり」「家庭をつくって認められたい」という思いが異常なまでに強いようにみえ、しかしそれらはまったくいい方向に向かっていない。
なお、中村氏はモラハラや虐待、DVの加害当事者たちが変わっていくきっかけの一つとして、「他愛のない日常のおしゃべり」を挙げていた。加害当事者たちは自分が誰にも認められないんじゃないかという不安が強く、防衛のために相手を必要以上に攻撃をしてしまうという。そこで、気負うこともなく、何を話してもよく、話したくないことは話さなくていい、安心できる場所で気楽なおしゃべりの場を通じ「自分も相手も尊重するコミュニケーション力」を培っていくのだ。
雄大被告は、おしゃべりで友人も多い。しかし、安心して、本当に話したいことを話すことはできなかったのではないだろうか。もしくは、本当に話したいこと、考えなければならないことはなんなのか、雄大被告自身も考えようとしないまま、虐待を続けていた、という方が近いのかもしれない。
『DVはなおる 続』内の加害当事者達の手記には他にも共通点がある。「配偶者や子どもが家を出て行ってしまう」などの大きな出来事があってようやく初めて自身の加害性に気付くという点だ。船戸家の場合、それは「結愛ちゃんの死」からだった。
石徹白未亜(いとしろ・みあ)
ライター。専門分野はネット依存、同人文化(二次創作)。著書に『節ネット、はじめました。』(CCCメディアハウス)。
HP:いとしろ堂