老人ホーム、入居者の“愛人”疑惑の老女――高齢者は“清く正しい”ワケじゃない?【老いてゆく親と向き合う】
化粧気もなければ、フェロモンといったものも感じられない。白髪染めの落ちかけたショートカットの小柄な女性。妻公認の愛人というより、“付き添い婦さん”。古い例えで、読者にはおわかりいただけないかもしれない。病院が完全看護でない時代、入院すると家族が泊まり込むか、それが無理なら結構なお金を払って“付き添い婦さん”をお願いしていたものだ。“付き添い婦”を生業(なりわい)とする女性たちは、こうした患者に付き添うため、病院から病院を渡り歩いていたものだ。お金は入るが、病院に泊まり込んでそこで生活するのだから、結構な重労働だった。
話が脇道に逸れた。愛人にはとても見えない、“付き添い婦さん”のような女性。一時期、世間をにぎわせた“後妻業”とも思えない素朴ないでたちに面食らった。この女性自身が、ホームの入居者だと言ってもおかしくない年齢だ。職員が考えているような愛人関係とはとても思えない。
あらためてこの女性、田辺さんに話を聞いてみると、20歳の頃から社長のもとで働いて、もう60年になるという。
「80歳になる今も従業員だけど、週に数日、忙しいときだけ会社に行って、あとは毎日朝晩社長のもとへ通って、夕食時には部屋で社長が晩酌するのにお付き合いしているのよ。私? 私はつまみを買ってきて、社長が晩酌するのをそばで見ているだけ。一緒には飲まないわよ」
聞けば田辺さん、20歳の頃に足を悪くして、それまでの仕事を辞めざるを得なくなり、仕事を探しているときに親戚が社長を紹介してくれて、それから勤続60年。社長とは「家族のような関係」だという。毎週社長のもとに来ると「ただいま」、帰るときには「また来るね」と声をかける。兄のもとに通う感覚なのだそうだ。
田辺さんの言葉に嘘はないと思えた。
今にも怒鳴り出しそうな、ご機嫌の悪い社長と60年。家族同然に付き合ってきたとは、よほど社長と波長が合ったのだろう。
「社長には本当によくしてもらってきたの。小さな会社が大きくなる過程を、社長と一緒に見てきたから、社長のことは尊敬しています。今は高齢になり、耳も遠くなって周囲とのコミュニケーションもとれなくなってきたけれど、私の言葉だけは理解できるのよ」
カオスなホームもいいかもしれない
毎日社長のもとに通う田辺さんは、ホームの入居者ともすっかり顔なじみだという。
「社長の晩酌の時間までは、仲良くなったほかの部屋の方のところにも顔を出して遊んでるの。ここの入居者さんはみんないい人たち。もし社長がいなくなっても、私が元気な間はここに通うと思うわね」
ああ、これが“カオス”なこのホームの良さなのだろう。居室のドアは開けっ放し。いつでも来訪者を歓迎している。おかずをおすそ分けする下町のような雰囲気が好きな人だけが味わえる、互いの領域に遠慮なく入り込む心地よさ――一見煩わしくも思えるが、少なくとも寂しくはない。
ずっと独身で、今もホームから徒歩5分のアパートで一人暮らしをしているという田辺さんに、寂しくないのか聞くと、そんなことは思ったこともないというようにかぶりを振った。
「私の人生はずっと人に恵まれてきたの。この年まで仕事も続けられているし、兄弟とも仲良しだから、寂しいなんて感じたこともないわよ。社長もそうじゃないかしら。銀行の人との交渉などもまだ自分でやっているし、息子さんやお孫さんたちもよく来ている。誰かに必要とされるって、いくつになっても大切よね」
人の幸せって、ひとつのものさしではかれるものじゃあない。80歳になる田辺さんのこれからを心配した自分が、少し恥ずかしい。そして田辺さんは、愛人以上の存在なのかもしれないとさえ思った。ただ、一度もホームに面会に来たことがないという妻との関係だけはよくわからないままだったが。
さて、あなたはこういうカオスなホームに親を入れたいと思いますか?
坂口鈴香(さかぐち・すずか)
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終末ライター”。訪問した施設は100か所以上。 20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、 人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。
■【老いゆく親と向き合う】シリーズ
・介護施設は虐待が心配――生活が破綻寸前でも母を手放せない娘
・父は被害者なのに――老人ホーム、認知症の入居者とのトラブル
・父の遺産は1円ももらっていないのに――仲睦まじい姉妹の本音
・明るく聡明な母で尊敬していたが――「せん妄」で知った母の本心
・認知症の母は壊れてなんかいない。本質があらわになっただけ