女性関係で天皇をクビ!? 儀式中のセックス疑惑――“タブーなし”の皇室事情【日本のアウト皇室史】
――俳優・原田龍二が週刊誌に報じられた「カーセックス不倫」をしのぐ、ヤバさ……。おまけに、儀式で使用する神聖な冠を投げ捨てるなんて、どうかしてますね!
堀江 まぁ、この逸話が出てくるのは平安時代後期~鎌倉時代に成立した、説話集『江談抄』など。「説話集」って、今風にいうと「ほんとにあった○○な話」的な意味になるのですけどね(笑)。 この時、花山天皇は17歳。この手の荒ぶるエピソードが全て真実なのかは、わからないものの、女性関係はやりたい放題だったことは本当。この頃、朝廷の若手メンバーは素行がホントに荒れていまして、「花山天皇に自分の女を取られた!」と思い込んだ藤原伊周(ふじわらのこれちか)たちから、花山天皇は矢で襲撃されたり。
――「女」が原因で、殺されそうになったんですか!?
堀江 そう。いわゆる「長徳の変」ですね。でも本当は誤解で、実際は藤原伊周のお付き合いしている女性の“妹”と、花山天皇はデキていただけなのです。ただ、火のないところに煙は立たないという言葉通り、それまで女性関係でブイブイいわせていた花山天皇は疑われ、その疑惑ゆえに殺されそうになったという。ちなみに本来であれば、藤原伊周は天皇殺しを企てた罪で処刑されてもおかしくないものの、花山天皇の恩情で九州に流刑されました。
――荒ぶる天皇の存在は、臣下の人生や権力の構図まで変えてしまうわけですね。
堀江 荒ぶりまくっていた花山天皇ですが、19歳の時には早くも「オレの最愛の女が死んだ」という理由で退位を意識するようになりました。というのも、お産の最中に彼女が亡くなったのです。花山天皇は最愛の女性を失い、意気消沈すると同時に、天皇を辞めて出家、彼女の菩提を自分で弔ってやろうと決意していたのです。そんな、肩を落とす花山天皇の姿を見た、家来・藤原道兼は「自分も世の中にウンザリしているから、一緒に出家しないか」と持ちかけます。しかし、これは「こんな花山天皇にはついて行けない」という臣下による陰謀だったのです……。歴史物語『大鏡』によると、藤原道兼から一緒に出家しようともちかけられた花山天皇は、誰にも相談せず宮中をホイホイッと脱出してしまいました。そして、そのまま京都郊外のお寺で自分だけ出家させられ、退位もするという状況に追い込まれます。肝心の藤原道兼はというと「やっぱり父・藤原兼家の顔を見てからでないと、出家できません~」などと言って逃げていったそうです。この頃、出家してしまえば、還俗することは基本的にできません。荒ぶる武闘派ヤンキーのような花山天皇でも、この時はさめざめと「道兼は私を騙したのね……」「嘘をついて、ハメたなんて怖い」と号泣したそう。高校などの古文の教科書にもよく出てくる逸話なので、ぼんやりと覚えておられる方もいるかもしれませんね。
――藤原道兼の「出家するする詐欺」にハメられ失脚。一般企業に例えると、同僚にハメられ、自分はクビや左遷。ハメた側の同僚は出世コースまっしぐらという感じですか……。平安時代後期までの天皇家は、藤原家に権力を握られていたんですね。あまりにも、花山天皇が気の毒なのですが、その後はどうされたんですか?
堀江 出家後は仏門修行に励み、和歌に明け暮れたといいます。歌人として優れており、多くの和歌を残しました。
――次回は11月2日更新です! 引き続き“クビ”になった歴代天皇についてお伺いします。
堀江宏樹(ほりえ・ひろき)
1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。2019年7月1日、新刊『愛と欲望の世界史』が発売。好評既刊に『本当は怖い世界史 戦慄篇』『本当は怖い日本史』(いずれも三笠書房・王様文庫)など。
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