インタビュー【前編】

選挙演説へのヤジ排除は「なぜ許されない」? 憲法学者・志田陽子氏に聞く「表現の自由」

2019/10/09 13:00
サイゾーウーマン編集部(@cyzowoman

“口汚い”“きつい”ヤジも、表現の自由のもと排除してはいけない

――ヤジに関してですが、「お前なんて辞めちまえ!」など、汚い言葉でのヤジに嫌悪感を示す人も多いです。かと言って、排除するのは、やはり「表現の自由」を侵害するということですね。

志田 「お前なんて辞めちまえ!」というヤジは、確かに口汚く聞こえるでしょうが、その人の役職の適格性や政策について疑問を抱いている……とも言い換えられます。ヤジ排除は、表現の自由の侵害とも言えますが、憲法第16条にも反しているように思うのです。憲法第16条では、「何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない」という「請願権」が規定されています。つまり国民は、自分が求める政策について、国会議員に対してであれ、行政に対してであれ、平穏な方法で請願する権利を持ち、それによって不利益は受けないと、しっかり規定されているわけです。先ほどの公職選挙法違反のレベルにあたるもの以外は、きつい言葉でも、言葉である限り、平穏な方法と見るべきでしょう。その請願に対して、警察が身柄を取り押さえるというのは、憲法の趣旨に反します。

 「保育園落ちた日本死ね!!!」もそうですが、苦しい思いをしている人の生の声というのは、“口汚い”“きつい”と取られてしまうこともあるのではないでしょうか。しかし、それを排除してしまうと、やはり民主主義とはかけ離れていきますし、一見“口汚い”“きつい”と思われる生の言葉を、どう政治の世界で成熟させていくかが重要。それが「熟議」です。そう考えると「ヤジ」は必要なのです。ただ、特定の人物に対して「殺す」と言うなど、脅迫にあたることをする者は、排除しなければいけませんが。

――選挙演説におけるヤジ排除を見ていると、まるでアイドルの握手会でヤジを飛ばすアンチを、運営側が出禁にするのと似ているな……と思ったのですが。

志田 確かにそうですね。タレントだったら、握手会やコンサートに自分を支持してくれるファンだけを集めて、ヤジを飛ばすアンチにお引き取り願うのは自由です。というのもタレントは、私的な商行為として、それらを実施しているから。しかし、民主主義の選挙の空間は、タレントの握手会やコンサートとはまったく違います。私的な空間ではない「公共の空間」では、異論を排除してはいけないのです。


国民の知る権利にとって、賛否どちらも「ある」状況が必要

――この「公共の空間で、表現の自由が保障されなければいけない」という点に関しては、『表現の不自由展・その後』中止問題でも論点になっていました。大村県知事が記者会見で、河村市長から展示中止の訴えがあったこと、また「税金を使っているから、あたかも日本国全体がこれを認めたように見える」との発言があったことを踏まえ、「税金でやるからこそ、憲法21条はきっちり守られなければならない」と話していました。

志田 大村県知事のおっしゃっていたことは、憲法研究者からすると「至極真っ当な意見」です。『表現の不自由展・その後』に関して言えば、展示品に賛否両論あるのは当然で、賛否どちらも「ある」という状況が、国民の知る権利にとって重要なこと。公共の空間において、人々に「選択肢がこれしかない」と思い込ませることが問題なのです。「日本人の心を踏みにじるからダメ」と言って展示を中止するのは、賛成する根拠も、また批判する根拠も、人々から奪うことになってしまいます。

 これは、先ほどの選挙演説へのヤジに関しても同じことが言えます。候補者や応援者の演説内容に賛否両論があり、聴衆が「私はこちらの意見だ」と選べる状況でなくてはいけない。ヤジを排除して、議論を起こさせないようにすることは、聴衆側からすると「大事な考え方に触れるチャンス」を奪われていることになるのです。

(後編につづく)

志田陽子(しだ・ようこ) 
1961年生。2000年、早稲田大学大学院法学研究科博士後期課程を単位取得退学。2000年より武蔵野美術大学造形学部に着任(法学)。早稲田大学法学部・商学部非常勤講師。専攻は憲法。著書に 『文化戦争と憲法理論――アイデンディティの相剋と模索』(法律文化社、2006年)『「表現の自由」の明日へ 一人ひとりのために、共存社会のために』(大月書店、2018年)、編著に『あたらしい表現活動と法』(武蔵野美術大学出版局、2009年)『映画で学ぶ憲法』(法律文化社、2014年)。


最終更新:2019/10/10 17:45
「表現の自由」の明日へ 一人ひとりのために、共存社会のために / 志田陽子
ヤジ排除のショックは忘れられない