有料老人ホーム、職員の“全員辞職”で起こった変化――「入居者を守る」の意味
“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)
そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。親に介護サービスを提供する側である有料老人ホームの管理職、山岸恵美子さん(仮名・44)の話を続けよう。
どうせ怒られるのなら、入居者のためになることを堂々とやろう
離婚しシングルマザーになった山岸さんは、昔取得したヘルパー資格を生かし、自宅近くの有料老人ホームの介護職員になった。しかし、介護主任をはじめ介護職員全員から、就職してすぐに無視されるようになる。主任からは、「入居者の家族と一切しゃべるな」など理不尽な命令をされ、そんな空気を察した入居者から避けられることもあった。理由のない集団いじめにさらされ、毎日がつらく、家に帰ると涙が出てしまう。それでも娘を育てるために仕事を辞めるわけにはいかないと、重い足を引きずるようにして出勤した。
そして、そんな日が1年続いた。
「究極までいじめられました。それが、あるときスーっと心がラクになったんです」
開き直った、と山岸さんは振り返る。
「辞めるのはいつでもできる。ご家族としゃべるなと言われていても、どうせ叱られるのなら主任の言いなりではなく、入居者のためになることは堂々とやろうと気持ちを切り替えました。そして、これまでとは違うホームをつくろうと決心したんです。意地だったと思います。私が辞めずに毎日出勤すれば、先輩たちはあからさまにイライラするし、『まだ辞めないんだ』と嫌味を言われたりしますが、私は辞めない。ざまあみろ、と思うことにしました」
山岸さんが、「入居者のために頑張ろう」と決意するきっかけとなったできごとがある。
「まったく言葉を発しない入居者の方が、就寝前の口腔ケアでどうしても口を開けてくれませんでした。そのとき、先輩がその方の歯茎を強く押して、無理やり口を開けさせたんです。さっさと済ませて早く帰りたかったのでしょう。口腔ケアが終わったあとで、私はその方に謝りました。『●●さんの気持ちがわかるのに、守ってあげられなくてごめんなさい』と。すると、その入居者の方は涙を浮かべて、私の頭をなでてくれたんです。それからは、私にだけは口を開けてくださるようになりました。自分では何もできない入居者の方でも、嫌なことはわかります。私がいじめられるなんて大したことではない。ここで生活している入居者の方を守らないといけないと思いました」
そんな気持ちをホーム長にも伝えた。主任やほかの職員はとうとう「山岸さんを辞めさせないのなら、私たちが辞める」と言い出した。ホーム長が「山岸さんが何をしたんですか」と聞いても、山岸さんに非はないのだから答えられるはずがない。
「ホーム長にとっては、ベテランの職員が辞めてしまうことの方が、私を守るよりもずっと困るはずです。たちまち人手不足になって、ホーム長も現場に出ないといけなくなるのは、目に見えていました。本社からも問題視されるでしょう。それでも、それらを覚悟のうえで、私を守ることにしてくれたんです。ホーム長には本当に感謝しています」
結局、徐々にではあるが、職員は全員が辞めたという。山岸さんの入居者に対する態度が評価され昇進したことも、いじめていた職員には耐えられないことだったようだ。
「私をいじめの標的にすることで、ほかの職員は一致団結できていたんだと思います。学校と同じ。閉鎖された空間はこうなるんですね」