カルチャー
[サイジョの本棚]

『待ち遠しい』レビュー:世代も価値観も違う人たち「普通」の衝突と、なにげなく再生される関係を丁寧に描く

2019/09/14 17:00
保田夏子

 本作では、きわめて狭い視野で語られる沙希の「普通」について、正誤のジャッジは下されない。その代わりに、沙紀の攻撃的な物言いやトラブルに巻き込まれた春子の視点で、沙希の半生があらわになっていく。漫画や絵を描くのが好きで、漫画家になりたいと思っていただろう少女時代。暴力を振るう父から自分を守り、昼夜問わず働いてくれた母に、「親子揃ってなんの取り柄もないから」「なんもできへんけど、それでもうちには、この子がいちばん」と言われ続けて育ってきたこと。大学進学をあきらめた彼女にとって、美大に進み、一人で好き勝手に暮らしている(ように見える)春子は、自身のアイデンティティを脅かすような存在だったのかもしれない。しかし、そんな春子自身も沙希と同じように、両親から「なんでもそこそこなんやから、なんもせんでええから」と言われて育ち、その言葉が呪いのように彼女の人生を縛っている。

 春子は沙希の人となりを知るにつれ、彼女を見離せないと感じるようになる。そして沙希もはっきりと考えを改めることはないが、家族とのケンカ、人生の転機を経て、春子やゆかりに頼るようになり、少しずつ変容していく。

 人それぞれの「普通」は、生まれた時代、地域、家庭環境など、不可抗力の要素に影響されているものだ。「普通」が他人によって揺り動かされたとき、相手を批判することは簡単だ。しかし時には悪態をついたり、気まずくなったり、衝突したりしながらも、相手の背景を推し量ることができれば、相手の理解できない面に折り合いをつけて、関係を再生することもできるのだ。

 そしてその過程で、自分の「普通」が数ミリ動いたり、そもそも「普通」であることは必須ではないと気づかされることもある。本作終盤、春子が「自分は普通じゃない」と思ってしまう“負い目”を学生時代からの友人に告白したとき、彼女は即座に「わたしは春子のこと普通とかおかしいとか、そういう基準で考えたことないよ」と返す。たくさんの「普通」が提示され、衝突する本作だからこそ、さりげなく置かれたこの会話は読者を癒やしてくれる。

 『待ち遠しい』には、どの「普通」が正しいといった、わかりやすいカタルシスはない。しかしそれは、私たちが生きる現実そのものでもある。勝ち負けも間違いも衝突も「日常」という大河がのみ込み、一見淡々と日々を紡ぐ春子たち。彼女たちを通して、読者自身の日常に立ち向かう力が蓄えられる一冊だ。
(保田夏子)

最終更新:2019/09/14 17:00
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