サイゾーウーマンカルチャーインタビュー人気脚本家・木皿泉インタビュー カルチャー 『ぱくりぱくられし』著者・木皿泉インタビュー 「ケーキもイケメンも小さな物語。今こそ物語が必要」脚本家・小説家、木皿泉インタビュー 2019/09/08 18:00 サイゾーウーマン編集部(@cyzowoman) インタビュー 80年代の「承認欲求」は結婚だった ――今回の本では、いくつかの章にわたって「承認欲求」に触れていましたよね。TwitterなどのSNSとの関わり方も承認欲求と切り離せないのですが、その欲求をコントロールするのが難しくなってきています。 木皿 私の若い頃、80年代の「結婚」っていうのは、まさに承認欲求ですよ。「結婚しない私」っていうのが不安だった。誰かに認めてもらいたいんだけど、誰かに認めてもらうには、結婚しないと認めてもらえない。今だったら、別に結婚しなくてもいいんじゃない? っていうのが一般的になったけれども、承認欲求を求める気持ちはまだ残っている。 だからフォロワー数といった、「数字」で認められたと感じる。昔の承認欲求は、もっと抽象的なものですよ。なんていうのかな、近所のおばちゃんの評判とか、本当に周囲500メートルくらいの人たちが、自分のことを「良いお嫁さんだね」って言ってくれたら、もうそれでいいんですよね(笑)。それだけで全然生きていけるんですけど。今はもうそういう共同体もないし、結婚したらOKみたいなパスポート、黄門様の印籠みたいなのもないから。そうなると、やっぱりネットで得られる「数」。それがリアルかどうかはわからないし、本当に見てくれているかどうかもわからないけど、「いいね!」っていうのがあれば、とりあえずはOKと思えるから。 ――認められたかどうか、目に見える数字で確認してしまうのは仕方ないんでしょうか? 木皿 でも、そんな数字だけの世界っていうのは、人が救いを求めている時には、あんまり助けにはならないんですよね。そうじゃないところでしか救われないから、人間って。何かを目標にがんばっていたりするときに、数字はすごく励みになって役に立つんだけど、いったんレールから外れちゃったりした時に、すごくえげつなく迫ってくるじゃない? それは例えば、視聴率とか本の販売部数といった数字で結果を測る世界と同じで、成果主義というか、そういう感じがしますよね。でも、目に見える数字だけじゃなくて、“ないもの”が支えになったりする時があるわけですよ。 ――“ないもの”が支えになる、というのは? 木皿 フィクション、虚構というか。今ここにないものを想像して、それでちょっと心が豊かになったり、慰められたり、「また明日、がんばろうか」って思ったりすることがある。すべてリアルにあるものだけで賄おうとするからつらくなる。今の世界は数字だけの、言ってしまえば本当に身も蓋もないえげつない世界っていうかね、夢も希望も何もないみたいなところで、みんな生きている気がします。 今のままでは、数字で価値が決められてしまって、本当に良いものもどんどん潰されちゃう。作っても作っても売れない、評価されないとか、商売としてまったく成り立たないとかね。ウチみたいに、商売として成り立てばOKだと思うんですよ、なんとか食べていければ。でも、それも今は難しくなっちゃってる。 次のページ イケメンもスイーツも小さなフィクション 前のページ123次のページ 楽天 ぱくりぱくられし 関連記事 「ブスだから自信がない」という自由もある――山崎ナオコーラ氏が語る、容姿と自信の関係性ギャルもサブカルも“田舎”へ吸収される――山内マリコ×笹井都和古対談「地方出身女の生き方」「モンスター母」と「男性中心社会」は無関係じゃない――毒親被害と“男女差”を考える【田房永子×音咲椿対談】『おっさんずラブ』BLブームはまやかし!? BL映画界のパイオニア語る“ヒット”のウラ側「ジェンダー論の、少し先の話」――著者・はるな檸檬さんに聞く『ダルちゃん』執筆の背景