サイゾーウーマンカルチャーインタビュー“健常者”の「私たちも頑張ろう」への違和感 カルチャー 『きらめく拍手の音』イギル・ボラ監督インタビュー “健常者”の「寄付したら偉い」「私たちも頑張ろう」とは――ろうの両親を持つ映画監督が語る違和感 2019/08/24 22:30 斎藤香 インタビュー 自分が障害者より上、寄付したらエライと思うのは危険 ――韓国ではろう者の映画やドラマは多いのですか? ボラ監督 ほとんどありません。あっても脇役ですね。日本では健常者と同じようにろう者が登場する作品があると聞きましたが、韓国では、何かが不足している人、助けないといけない人として登場する作品がほとんどです。 ――確かに日本では、ろう者が主人公のドラマや映画はあります。ただ、ときどき障害者を感動の材料に利用しているという声もありますね。 ボラ監督 それは嫌ですね。私の両親は何でもできる人たちです。私が頼んだことは何でもしてくれましたし、母は友達のお母さんの中でも飛びぬけて美人ですし、本当に自慢の両親です。でも、障害者はテレビなどでは、かわいそうという視点でしか描かれていなくて、何か利用されているように感じることもありました。だから、私の映画では絶対そうは見せたくなかった。「障害者の人たちも頑張っているのだから、健常者の私たちも頑張りましょう!」というスタンスは絶対に嫌でした。 ――でも、失礼のないようにと考えすぎて、どう接したらいいのだろうと悩むこともあります。障害者の方に対しては、どのように接するのがいいのでしょうか? ボラ監督 自分の方が上だと思わないことです。相手が障害者じゃなくても、そう思ってしまうことはあると思いますが、それは危険です。例えば紛争地域の方、難民の方などに寄付しましょう、寄付したらエライ、みたいな考えはよくありません。でも、メディアはそういう考えを拡大させてしまう恐れがありますね。 韓国の障害者教育は日本より25年遅れている ――日本では2017年に初めての「東京ろう映画祭」が開催され、いい方向へと動き始めたと思うところもありますが、韓国ではそういう動きはありますか? ボラ監督 韓国は日本より遅れていて、25年前くらいの状況です。この映画を字幕入りで公開しても、私の両親は字幕を読めません。なぜなら、韓国の障害者への教育はとても遅れていて、例えばろう者には「リンゴは手話ではコレ、文字ではコレ」と教えるべきなのに、両親が学んだ韓国の障害者学校は手話ができる教師がいないので、文字を学べないのです。クラスにさまざまな障害者を集めて、普通に授業をするので、耳が不自由な私の両親の場合は、教師が何を教えているのかがわからない。ちゃんとした教育を受けられないから、文字も読めないし、書けないし、文脈もわからないのです。障害者学校で起こった実話をもとにした映画『トガニ 幼き瞳の告発』という作品がありますが、あの映画と同じようなものです。 (※映画『トガニ 幼き瞳の告発』は韓国のろう学校で起こった児童虐待事件を描いた実話の映画化) ――きちんとした教育をさせるために制度を作ったり、立て直そうとしたりする人はいなかったのですか? ボラ監督 両親が学生だったのは、もう何十年も前ですが、障害者学校では不正も多かったのです。学校建設費用を国からもらっていたにもかかわらず、それを横領して、児童にレンガで学校を建てさせたということもあったそうです。普通は告発すべきと思いますが、障害者学校に手話ができる人はいないので、何もできないのです。教育を受けていないので、何が自分たちの権利なのか、それが間違っているのか否かもわからない。こういうことを認識できない教育になっていることが韓国社会の問題点です。ろう者の人たちは、諦めた方が簡単だと思っています。だから私は映画を通して真実を発信し、こうやってインタビューを受けたり、文章を書いたりすることで、伝えていきたいと思っています。 次のページ 視覚、臭覚、触覚が研ぎ澄まされている、ろう者の美しい世界 前のページ123次のページ 関連記事 「障害者について知らないからこそ、怖いと思っていた」社会が変わるために必要なこととは?障害者の「選択肢」を増やす――放課後デイサービスと就労継続支援B型事業所がもたらすもの「精神障害者になると思ってなかった」当事者が語る生活保護受給者の実情『24時間テレビ』「感動ポルノ」を障害者はどう見るのか?――バニラ・エア騒動の木島英登氏に聞く『24時間テレビ』に登場しない障害者……精神障害や発達障害はなぜいない?