「納采の儀」めぐる歴代皇女の悲劇から見る、眞子さま“婚約”の懸念材料【日本のアウト皇室史】
――和子さんが“普通”の主婦として頑張っても、鷹司さんは“元皇女”の夫であることにプレッシャーを感じてしまったんですかね。
堀江 芸能人の離婚報道もそうだけど、夫婦のことは結局本人たちにしかわかりませんが……。和子さんのほかにも、結婚後どころか結婚前から不幸になってしまったケースがありますよ。江戸時代の話ですが、八十宮(やそのみや)、のちの吉子内親王の話とかね。彼女は生後すぐ、数え年で当時7歳(満年齢で6歳)だった七代将軍・徳川家継と婚約しました。
――わかりやすい政略結婚! とツッコミたいところですが、それよりも二人の年齢に驚きました。だって、赤ちゃんと幼児じゃないですか!
堀江 そうなんです。しかし、家継は一般の結納にあたる「納采の儀」を行った直後に死亡してしまいました。また、皇族が「納采の儀」を行った場合、結婚したも同然ということになるので、結婚生活は始まっていないものの、八十宮は1歳7カ月にして未亡人になりました。
――「納采の儀」といえば、秋篠宮さまが眞子さまと小室さんには許可できないといって、話題になりましたよね。
堀江 古来、日本の上流階級は「女は二夫にまみえず」という、儒教的な考えを重んじていました。つまり、「女性は再婚しないこと」が理想とされていたんです。そのような考え方から、八十宮は納采の儀を済ませていたこともあり、独身として一生を過ごしました。婚約後、相手のアラに気付き、結婚前に破棄すればギリギリセーフなんて、世間の常識は皇女には通用しませんし、秋篠宮様が、眞子さまと小室さんの納采の儀を許可しないのは、伝統と歴史に配慮なさってのことかもしれませんね。
――そのほかに、「納采の儀」を行った後に、悲しい結末を迎えられた方はいるんですか?
堀江 江戸時代末期の話ですが、明治天皇の父君・孝明天皇の異母姉にあたる淑子(すみこ)内親王という方がいました。この方は「納采の儀」を済ませた後、結婚前に婚約者を失ってしまい、未婚のまま生涯を終えたんです。彼女もまた、男性の都合により結婚がかなわなくなったのにもかかわらず、「女は二夫にまみえず」と昔ながらのルールが優先された。ただ、それではあまりにむごいということで、当主が不在のため途絶えていた、桂宮家の当主の座が特例として用意され、日本史上唯一の女性当主が誕生したんです。
――現代の感覚からすると、結婚・再婚するのも、しないのも個人の自由っていう感じがします。皇女とはいえ一人の女性ですし、伝統だからといって、“選択”する自由や権利がないことは、とてもかわいそうですよね。
堀江 たしかに。皇室の女性たちの結婚事情は歴史を通じて、けっこうシビアなのです……。眞子さまと小室さんのカップルがどうなるのか、まったく予測が付きませんが、お二人にとって一番よい結果となると良いですね。
次回は、海外の皇女の結婚事情について、お話します!
堀江宏樹(ほりえ・ひろき)
1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。2019年7月1日、新刊『愛と欲望の世界史』が発売。好評既刊に『本当は怖い世界史 戦慄篇』『本当は怖い日本史』(いずれも三笠書房・王様文庫)など。
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