『ザ・ノンフィクション』五輪という夢と呪い「運命を背負い続けて~柔道家族 朝飛家の6年~」
あらためて思うが五輪は残酷だ。4年に一度のため、選手としてのピークが五輪のタイミングに合わずに涙をのんだ人もいただろうし、選手として絶好調でありながらも、くだらない政治のしがらみの巻き添えを食らい、出場がかなわないことだってあるだろう。
テニスやゴルフでは「4大大会」が毎年行われ、こういった大会も含めたシーズンでの獲得賞金総額で賞金王を争う。賞金王を逃しても、「4大大会」に出場することの栄誉や注目度は大きく、勝ち上がる姿は盛んに報じられる。サッカーは、五輪よりワールドカップの方が注目を集めているし、野球にはWBCがあるが、なによりプロ野球や高校野球といった国内大会の方が関心度は高いのではないか。つまり“五輪は大切な大会だけれど、それがすべてではない”スポーツはある。
柔道も「世界柔道選手権大会」は毎年開催されているし、五輪と同等かそれ以上の権威ある大会とされているようだ。しかし、朝飛家においては「五輪以外の大会は五輪のための通過点(だから、勝ち続けないといけない)」のように見ていて感じた。他大会で優勝しようが、結局4年に1回、各階級1人しか選ばれない五輪に出られないとダメ、というのは、もはや呪いのようにすら思える。
そして、これは何も朝飛家に限らず「五輪以外は五輪に選ばれるための通過点」、もっと極端に言ってしまえば「五輪以外は大会に非ず」と考えている競技者や、競技者の親、指導者はほかにもたくさんいるだろう。この厄介な呪いは、競技を観戦するファンを増やすことが地味ながらも「五輪だけではない」につながる道を開くようにも思える。ファンが増えれば「五輪以外」だって育つのではないか。先に上げたテニス、ゴルフ、サッカー、野球はファンが多いスポーツだ。
基本的にその競技をやってみれば観戦も楽しめるようになるが、あらゆるスポーツをやるわけにもいかない。そこで重要なのは解説ではないだろうか。解説者は、競技者にしかわからない競技の奥深い魅力や、選手が考えていることなど観戦のポイントを一般視聴者に伝えるのが仕事だと思う。しかし、その出来も解説者によって大きく異なる。ダメな例としては、選手が結婚したとか子どもの名前とか、そんなことばかり話すタイプがある。「初心者はどこを見ればいいのか」「競技経験者のための上級解説」など、「スポーツの魅力を伝える」側にできることはたくさんあるように思えるし、それが競技者たちの「五輪の呪い」を解く一助になるのではないだろうか。
次回の『ザ・ノンフィクション』は「ボクは梅湯の三次郎~野望編~」。廃業寸前だった銭湯「サウナの梅湯」を25歳で引き継いだ湊三次郎。梅湯を人気店に育てあげ、2軒目の銭湯運営という「野望」を抱くが、個性豊かなスタッフのマネジメントに四苦八苦……、そんな奮闘の日々を追う。
石徹白未亜(いとしろ・みあ)
ライター。専門分野はネット依存、同人文化(二次創作)。著書に『節ネット、はじめました。』(CCCメディアハウス)。
HP:いとしろ堂