女性は「容姿を問われて当然」なのか――望月衣塑子氏が語る、ジェンダーの後進性が生む“損失”
男女雇用機会均等法が1986年に施行され、女性の社会進出が進んだが、日本は長らく“男社会”が続いてきた。男女平等の度合いを指数化して世界順位を示す「ジェンダーギャップ指数」を見ると、日本の2018年の順位は149カ国中110位で、まだまだ遅れている。1989年の流行語大賞は「セクハラ」で、2018年は「#MeToo」が新語・流行語大賞のトップテンに入った。女性への性的いやがらせは、平成の約30年の間、ろくに解決していないことになる。
均等法第一世代の女性はパイオニアだった。「だから女はダメだ」と周囲に言わせないため、諸々を犠牲にしてむちゃくちゃ働いた。結婚や出産を選択しなかった先輩もいる。彼女たちの多くは、取材先や社内でのセクハラに耐えてきた。嫌な気持ちを押し込んで、なかったことにしようとした人もいた。先輩の昔話を聞くと「男性の2倍働いて、ようやく半分の評価がもらえるぐらい」というから、いかに苛烈だったかがうかがえる。
私が採用された2000年当時、同期のうち女性は3割まで増えていた。それでもまだ警察、自治体の幹部、政治家など取材先は、自分より年上の男性だらけで、女性記者は目立つ存在だった。名前と顔をすぐに覚えてもらえたし、携帯電話を聞き出すのもラクだったと思う。代わりに、夜の食事や飲み会にしつこく誘われることも多かった。一度会っただけの人からつきまとわれ、「つきあいたい」と会社にまで電話がかかってきたこともあった。
セクハラの被害にも遭ったが、仕事と割り切って適当に受け流してきた。うまく情報を取ったときだけ「女は得だね」、弱音を吐けば「泣けばいい」と思われるのが嫌だと当時は思っていたから。個人として評価されたかったし、弱みを見せないようにしてきた。
でも、自分が傷つかないようにするため、「セクハラ被害を無かったことにしよう」「早く忘れてしまおう」と問題を矮小化すると、加害者にも周囲にも、その言動がセクハラであり、ひどい行為だと気付いてもらうチャンスがなくなってしまう。昨年、テレビ朝日の女性記者が福田淳一財務事務次官(当時)から受けたセクハラ被害を告発したが、福田氏はセクハラを否定していた。「胸触っていい?」「キスしていい?」などという福田氏に対し、「いやいや、正真正銘のセクハラだよ」と誰しもツッコミを入れたと思うが、財務省内でもこれまで、福田氏の行為が“即アウト”レベルのセクハラだと認識されてこなかったのかもしれない。
それは、私たちの世代が悔しさを押し込め、我慢したせいかもしれない。女性が「嫌なことを忘れるのが当然だ」と思い込ませる環境をつくってしまったのだとしたら。声を上げず、問題を積み残しにしてしまったのではないか――。若い後輩記者からセクハラ被害の相談を受けることが増えた今になって、そう悔やんでいる。
セクハラを我慢せずに「おかしい」「いやだ」と声を上げていくことが必要だが、それには勇気がいる。各企業や団体も「女性活用」をうたうのであれば、悩み相談レベルからサポートする窓口を作らなければならないだろう。ただし、片方の主張だけで判断はできないだろうし、一方を処分して「おしまい」にするだけでは次につながらない。組織上層部は、セクハラを当事者同士の限定的な問題として扱うのではなく、被害者が自分を責めたり、組織から逃げ出したりしないよう、環境の改善に役立てる意識を持ってほしい。
■望月衣塑子(もちづき・いそこ)
1975年、東京都生まれ。東京新聞社会部記者。慶應義塾大学法学部卒業後、東京・中日新聞に入社。千葉、神奈川、埼玉の各県警、東京地検特捜部などで事件を中心に取材する。2004年、日本歯科医師連盟のヤミ献金疑惑の一連の事実をスクープし、自民党と医療業界の利権構造を暴く。また09年には足利事件の再審開始決定をスクープする。東京地裁・高裁での裁判担当、経済部記者などを経て、現在は社会部遊軍記者。防衛省の武器輸出、軍学共同などをテーマに取材している。二児の母。