「一生懸命セックスした」不倫4年、男の子どもを殺めた女が語る“愛の証し”【葛飾区女児誘拐殺害事件・前編】
葛飾区堀切のブリキ職人の長女だった美佐子は、中学を卒業して近くの街工場などでしばらく働いた後、日本舞踊師匠の家に内弟子として住み込んでいた。その傍ら、都立の定時制高校に通う日々。美佐子は、その際立った美貌から高校時代には「マリア」と呼ばれ、近所の者たちからは「下町の吉永小百合」と称されていた。その美佐子を、仙石商店の事務員としてスカウトしたのは、同じ舞踊師匠のところへ習いに行っていた聡子だった。「下町のプリンス」伸一と特別な関係になったのは、美佐子が仙石商店に雇われて8カ月目の、昭和46年3月以降のことだった。
美佐子は、初めて関係を持った経緯をこう明かす。
「私が、首筋が痛いって言ったら、社長さんが『俺は柔道をやっていたから直してやる』と言いまして家の中に入りました。元は1階の部屋でマッサージをしていただきましたが、そのうち社長さんが『ここだとみんなに変に勘違いされるから、二階に行こう』って言うので、二階の部屋に行って、そこでされるままに関係しました。
1週間後にアメ横でネックレスを買ってもらってから、ホテルニューオータニのスカイラウンジへ連れて行ってもらいました。私はああいうところへ行ったのは生まれて初めてだったんです。そこで社長さんに『これから俺と冒険してみないか』って言われて、“奥さんに隠れて浮気しよう”という意味だと思いました。でも幸せな気持ちになりました」(公判での供述)
数回の遊びでは終わらなかった。美佐子はその理由をこう続ける。
「社長は、最初、私と2、3回浮気するつもりだったらしいんです。ところがいざ関係してみると、私が性的な面ですごく気に入ったので離せなくなってしまったと言っていました」
美佐子が伸一に深くのめり込んだのは、彼が“初めての男”だったから……というだけではく、“不倫男の典型的なセリフ”を繰り返す伸一を、美佐子が完全に信じていたことも大きい。
「社長はいつも私に(奥さんのことを)『すごく嫌な奴だ』とか、『死ぬといい』とか、『1日も早く別れたい』というようなことを言っていました」
ホテルや車の中での情事が終わると、ピロートークで伸一は「妻とは離婚して美佐子と結婚する」「千葉県に新工場を作ってそこへ単身赴任し、家族とは別居して二人で暮らそう」など甘い言葉を美佐子につぶやき、彼女は本気になった。だが、夫婦は離婚することなく、約4年がたとうとしていた。